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◆第35回 秋の音楽三昧 その2( 21.october.2002)

前回の続きです。
 9月21日、都南文化会館(キャラホール)の小ホールで行なわれた「楽しいクラシック音楽鑑賞講座」に行った。これは寺崎巌さん(弦楽合奏団バディヌリ主宰、田園室内合奏団音楽監督)を講師に、7月から行なわれてきた同講座の最終回(全4回)だ。
 7月と8月は、イギリスと北欧の作曲家による隠れた名曲をCDで聴いた。寺崎さんのお話は作曲家の素顔や曲の背景、それに実際に演奏したときの印象を交えるなど、クラシックの入門者から音楽通まで楽しめる内容だった。9月に入ってからの同講座は2回にわたって弦楽合奏団バディヌリをゲストに迎え、CDで聴いた曲を生演奏で聴くという贅沢なもの。
 この日は、ウォーロックの組曲『キャプリオール』より「バスダンス」、シベリウスの『アンダンテ・フェスティーヴォ』、フィンジの『復活の日』より「イントラーダ」が演奏された。といっても、普通に演奏するのではなく、練習を公開するという形をとった。演奏した後、寺崎さんが細かい指示を出して、また演奏する。すると音楽の輝きが増し、生き生きとしたものになるのを我々は自分の目と耳で(生演奏を聴く際には目も充分に働かせる必要があるのです)確かめることができた。また、メンバー同士がいろいろな意見を出し合う点も印象に残った。これによって、どのようなプロセスで音楽をつくりあげていくのかがよく理解できた。楽譜が音楽のすべてを備えていると思いがちだが、実際はそうではないのだ(もし、そうなら、どの演奏家の演奏を聴いてもみんな同じはず)。
 この講座を通じて(寺崎さんの好みを反映した選曲なのかもしれないが)イギリス音楽にはロマンチックなものが多く、その旋律もどこか日本人好みで、たとえばフランス音楽より日本人にはフィットするのではないかと思った。

 ただ、内容の充実ぶりに比して、聴講者の少なさには歯痒さを覚えた。主催者(盛岡市文化振興事業団)は、多くの方にいい音楽を楽しんでいただくことを使命のひとつとして担っていると思う。それには、著名なオーケストラや演奏家によるコンサートをひらくことも大切だが、今回の音楽鑑賞講座のような地道な活動が必要不可欠だ。講師の寺崎さんが内容を吟味し、いろいろな工夫をこらしてくださっていた一方、集客(告知)などを含めて、主催者にあまり工夫が見られないのは残念だった。お金をかけた宣伝告知は誰にでもできる。足と頭を使った宣伝告知を期待したい。それを可能にするのは、音楽を愛する情熱である。

 1日おいて22日、北上市文化会館で北上フィルハーモニー管弦楽団の第8回定期演奏会を聴いた。意外だったのは(失礼ながら)お客さんが想像以上に多かったことだ。北上フィルは『題名のある音楽会』というコンサートも定期的にひらいている。そのコンサートには行ったことがないのだけれど、映画音楽などクラシック以外の作品を主に演奏している。クラシック音楽は「一部のマニアのもの」とか「高尚なもの」と誤解されがちだが(これは日本に限ったことではなく、本場と言っていいイギリスでも似たような状況だという)、こういった活動もあって、北上フィルは市民に広く受け入れられているのだと想像できる。素晴らしいことだ。
 指揮者に新進気鋭の小崎雅弘氏を迎えたこの日のプログラムは下記のとおり。

ワーグナー:楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』
        第一幕への前奏曲
フォーレ:組曲『ペレアスとメリザンド』Op.80
        I 前奏曲  II 糸紡ぎ娘  III シシリエンヌ  IV メリザンドの死
ドヴォルザーク:交響曲第8番 Op.88

 僕はフォーレが残した室内楽(ピアノ曲、ヴァイオリン曲、チェロ曲、ピアノ五重奏曲など)はよく聴くが、あまりオーケストラ作品を聴かないせいもあって、『ペレアスとメリザンド』は初めて聴いた。
 これはメーテルリンクの戯曲がもとになっている(内容は、おとぎの国の悲恋物語といえばいいか。ちなみに、この戯曲はドヴュッシーがオペラ化しているし、シェーンベルクは交響詩にした)。とてもデリケートな曲だ。マイスタージンガーの有名な前奏曲のように派手な曲よりも、こういう曲のほうが演奏は難しいのかもしれない。ましてやフォーレの音楽は洗練さが持ち味だから、ぎこちないところがあると、とても目立ってしまう。というわけで、正直なところ、選曲を誤ったのではないかと思った。
 しかし、小崎雅弘氏率いる北上フィルは、次のドヴォルザークで本領を発揮した。最初から最後まで、高いテンションを保った演奏だった。演奏が終わっても、僕に乗り移ったテンションがなかなか消えなかったくらいだ。それをほぐしてくれたのは、アンコールの『くるみ割り人形』だった。なんと北上フィルは「羽目を外して」実に楽しそうに、この曲を演奏した。この柔軟さが、フォーレを演奏するときに生かされていればなあ、と思わないではいられなかった。あるいは、ロシアや東欧系の作品が北上フィルと相性がいいのかもしれない。
 いずれにしても、音楽を愛する情熱がしっかりと伝わってきて、僕は満たされた。
 
 「楽しいクラシック音楽鑑賞講座」で、音楽をつくりあげていく過程を披露してくださった弦楽合奏団バディヌリが、10月26日に盛岡市民文化ホール大ホール(マリオス)で第6回定期演奏会をひらく(一般1,000円、中・高校生500円、小学生以下無料で午後7時開演)。曲目はバッハの『シャコンヌ弦楽合奏版』やエルガーの『弦楽セレナーデ』など。岩手の厳しい冬と優しい春の二面性を感じさせるバディヌリならではの音楽を、この機会にぜひ体験してください。このコーナーを読んでくださっているみなさんと感想を話し合うことができれば楽しいですね。

◆このごろの斎藤純

〇10月5日、QOLネットワークのフォーラムで、岩手大学の三宅諭先生と対談をした。その際、盛岡の街づくりの話になった。これからは車の流れをよくするのではなく(道をいくらまっすぐにし、幅広くしても、渋滞は減らないのです)、市内に車を入れない街づくりを目指すべきではないかという点で意見が一致した。車優先の街では、お年寄りも子供も快適には暮せない。もはや東京をモデルにした都市開発は時代後れなのだ。イギリスでは路面電車を復活させて、大気汚染と交通渋滞の緩和に役立てている。これは地球温暖化防止策を考えている研究者たちも以前から提唱してきたことだが、こういう発想も大いに取り入れるべきだろう。盛岡が率先して新しい発想にもとづく街づくりを進めれば、全国から注目されるはずだ。
〇10月8日、ごみ減量資源再利用市民のつどい(盛岡劇場メインホール)で基調講演をしてきた。といっても、特にゴミについての専門的な話をしたわけではない。自然が創作の源になっていること。ゴミはいろいろな意味で、その自然を破壊する要因となっているという話をした。かつてはゴミ同様に扱われたブナ林の価値が見直されたように、時代によって価値観が変わることも忘れてはならない。中津川に盛んに鮭がのぼってきているが、産卵を終えて死んだ鮭を「生ゴミ」としか見ない人がいることは残念だ。生命の尊さと自然を教える最高の教材が目の前にあるというのに。

ブラームス:ヴィオラ・ソナタOp.120を聴きながら