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◆第37回 上野美術展巡り( 18.november.2002)

 上野公園には4つの美術館、2つの博物館、それにコンサートホールがある。午前中からこれらをまわって歩き、夜はコンサートを聴いて過ごせたら 、僕にとっては最高に贅沢な一日となる。所用で東京に行ったついでに上野に寄った。残念ながらコンサートを聴く時間はなかったが、開催中の企画展をまわることができた。

 東京藝術大学美術館で『ウィーン美術史美術館名品展〜ルネサンスからバロックへ〜』展を観た(12月23日まで開催中)。 ウィーンで美術館巡りをして、ウィーン楽友協会でコンサートを聴きたいと思っているのだが、なかなか実現できない。ウィーン美術史美術館もぜひ行ってみたい美術館だから、この企画展は楽しみにしていた。
 まず、まっさきに『神聖ローマ皇帝ルドルフ2世』(ハンス・フォン・アーヘン)という肖像画を観た(僕はときどき、学芸員が苦労して配置した順番を守らずに、勝手に観たいものだけを観て帰ったりしてしまうのです)。ルドルフ2世(1552-1612)は、言葉は悪いけれども「馬鹿殿」と言われてきた人物だ。
 肖像画から受ける印象は、確かに「キレ者」とは言いがたい。貫祿はある。もって生まれた血筋からくるものだろう。しかし、この人物を端的に表現するとしたら、「享楽主義者」が相応しいような気がする。どこか頽廃的な匂いもする。もっとも、そんなふうに描かれた肖像画をコクションしていたのだから、太っ腹というか、自分をよくわかっている「賢帝」だったのかもしれない(ルドルフ2世については、近年見直されているらしい。ま、歴史というのは時代によっても、評価する立場によっても違う見方がされる)。
 ウィーン美術史美術館が収蔵する絵画コレクションの一角を、このルドルフ2世が収集したコレクションが担っている。熱心な美術愛好家だったのだが、ちょっと変わった趣味の持ち主でもあった。その代表的なもののひとつが、ジュゼッペ・アルチンボルドの作品だ。『水』ではさまざまな魚類や蟹、珊瑚など60種類もの水棲生物を組み合わせて、人物の横顔を描いている。一種の騙し絵のようなものだ。同様に木の根っこでもって人物の横顔を描いた『冬』も展示されていた。
 決して趣味がいいとは言えない絵だ。これらの作品から僕は諧謔とか揶揄を感じるのだが、実は権力と栄光を礼賛する意味が込めれているという。僕が受けた印象とは逆なわけだ。
 ヤーコブス・フレルの『窓辺の女』は、窓から上半身を乗りだしている女性の後ろ姿が描かれている。光と陰の対照が、フェルメールを想わせる。
 こういう風俗画(聖書や神話に題材を求めず、日常を題材としている絵)は理屈抜きで楽しめるが、多くの作品は聖書と神話に通じていないと、絵に込められた意味が理解できない。だから、僕はオールドマスターズ(18世紀以前の作品)が苦手だ。苦手なのに、なぜか惹かれる。

 そもそも、どうして絵を観るのだろうか。腹の足しになるわけじゃないし、それどころか美術館巡りをはじめると、時間が惜しくて、食事を抜いてしまうことも珍しくない。
 この設問は「どうして音楽を聴くのか」というのと同じくらい答えるのが難しい。というよりも、答えようがない。音楽がないと僕は生きていけない。その理由を訊かれても困るが、音楽をしばらく聴いていないと「飢えてしまう」と言うことはできる。
 絵の場合も似たようなものだ。絵を観ないでいると、喉が乾いたような気分になる。すると、美術館に行くのは僕自身を潤すためなのかもしれない。

 オールドマスターズを観た後、国立西洋美術館で「ウィンスロップ・コレクション」展を観た(12月8日まで開催中)。アメリカの資産家グレンブィル・ウィンスロップが母校のハーヴァード大学附属フォッグ美術館に寄贈したコレクションのうち、19世紀イギリス・フランス絵画が展示されている(他に膨大な東洋美術コレクションがあるという)。ウィンスロップ・コレクションはウィンスロップの遺言で、外部への持ち出しを拒んできたので、今回が初めての館外での公開となる。アメリカ国内でも「知られざる名コレクション」と呼ばれてきたものを日本で観られるのだ。
 アングル、ジェリコー、モローなどのフランス絵画もさることながら、僕はバーン・ジョーンズ、ロセッティ、ホイッスラーなどのイギリス絵画を興味深く観た。ちなみに、ロセッティが描く女性像は、モデルが違っても同じ顔に見える。イングリッド・バーグマンに似ているが、もちろん、ロセッティはバーグマンが生まれる以前の画家だ。バーグマンはロセッティの作品を観て、表情を研究したのかもしれない(まったくの推測ですので、悪しからず)。
 音楽も美術も専門的に学んだことはないから、こんなふうに僕の楽しみ方はでたらめだ。雪舟の山水画を観てセザンヌのようだと思うし、バロック音楽を聴いてジャズみたいだと思う頓珍漢なのだ。これらはいずれも歴史的に順序が逆である。

◆このごろの斎藤純

〇僕の二冊目のエッセイ集『音楽のある休日』が、今週末、書店に並ぶ予定だ。これはe−novelsに連載していた『音楽を旅する』に手を入れたものだ。ジャズやクラシックをどんな思いで聴いているか、音楽を聴きながら考えていることを書いた。カバーに盛岡在住の版画家、大場冨男さんの作品を使わせていただいた。大場さんの作品が好きで、いつか本に使わせていただきたいと思っていたが、こんなに早く実現できて嬉しい。
〇文士劇の練習が佳境を迎えている。今年は道又力氏の脚本、浅沼久氏の演出で、『踊る狸御殿』というコメディ劇を上演する。高橋克彦氏が狸御殿のお殿さま、脚本家の内舘牧子さんがその奥方を演じる。また、かつて高橋克彦氏がファンクラブ岩手支部長(だったかな)をつとめていた弘田三枝子さんも出演し、なんと僕がギターを受け持つバンドをバックに、あの名曲を披露する。
 僕の役ですか。それは秘密です(お正月にテレビで放送されるのでそれをご覧ください)。

フラトレス(アルヴォ・ペルト)/ギドン・クレーメル&キース・ジャレットを聴きながら