前回は上野公園内の美術館で観た『ウィーン美術史美術館名品展〜ルネサンスからバロックへ〜』展と『ウィンスロップ・コレクション』展について書いた。この二つの展覧会には共通点がある。それぞれに展示されている画家の何人かの作品が、国立西洋美術館にも収蔵されているんですね。たとえば、『ウィーン美術史美術館名品展〜ルネサンスからバロックへ〜』展に展示されていたヘームの他の作品が、また、『ウィンスロップ・コレクション』展に展示されていたロセッティの他の作品が国立西洋美術館にある。
大きな企画展を観た後で国立西洋美術館の常設展示を観ると、「なかなかの絵が揃っているんだなあ」と改めて気づかされるのではないだろうか(僕とは逆に、国立西洋美術館の規模が小さいと嘆く方もいるそうですが、ま、そのお気持ちもわからないではない)。
今回は同時期(いずれも12月8日まで)に開催されていた『生誕400年記念 狩野探幽』展、『ピカソ 天才の誕生(バルセロナ美術館)』展について書ことう思っているのだけれど、この二つに共通点はありません。いや、強いて挙げるならば、二人とも天才だったということか。狩野探幽は11歳で徳川家康に拝謁し、16歳で幕府御用絵師(ヨーロッパで言うなら宮廷画家ですね)の地位を得る。
ピカソについては、有名なエピソードがある。ピカソが13歳のときに美術教師だった父親が「おまえに教えることはもう何もない」と言って、自分は二度と絵筆を握らなかった。これは多分に脚色された話で、事実とは異なるそうだが、だからといってピカソの天才を疑うものは誰もいまい。
この展覧会では、1881年に生まれたピカソの1890年から1904年まで、つまり、若き日のピカソの足跡が一望できる。展示品のなかには遊びで描いた落書きのようなものもあり、ピカソの人となりを知る手がかりになる。また、伝統的な手法で描かれた作品は、僕などが知っているピカソの個性とは遠い作品ではあるけれど、並外れた画才を知るには充分すぎるほど素晴らしい。あれだけ描ける才能があれば、いわゆる「普通の絵」などはちっとも描く気がしなかったに違いない。
それでも、ムンク風の作品やロートレック風の作品を目にすると、天才ピカソも一日にして成ったわけではないのだなあ、と別の驚きも感じた。
ピカソは日本で人気があるようで、この展覧会は連日満員だそうで、僕が行ったときも大変な混雑だった。
狩野探幽は狩野派(と一口に言っても、狩野派のなかにも派閥があったのだが)の絵師の家に生まれ、絵師になるべく育てられ、もって生まれた才能と相まって、早くから将軍家に認められ、名声も地位も富も得た人だ。古今東西を見わたして、こういう何から何まで恵まれた画家、いや、(音楽なども含めた)芸術家もそう多くはいないのではないか(むしろ、苦労した人のほうが多く、また、しばしばそういう人のほうが尊ばれもする)。
で、そういう人の作品など、つい「つまらない」と先入観を持ってしまうのだが、探幽はそんな小さな器ではありませんでした。なにしろ、絵に厳しさがある。狩野派の名前と伝統に胡座をかいて、安穏と過ごした画家というイメージは簡単にくつがえされる。伝統を重んじながらも芸術的な冒険に挑んだ人だったのだ。それは中国から伝来した水墨画を日本風(大和風)のスタイルに昇華させた作品や、富士山の素描からうかがい知ることができる。特に富士山の素描はとてもリアルで、どこか西洋的な技法さえ感じさせる。
これはある意味で「狩野派」の一人の絵師の業績を見るのではなく、狩野探幽その人の芸術を味わうものと割り切ったほうがいいような気がした。
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