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◆第48回 色を楽しむ展覧会 (21.april.2003)

『韓国の色と光』展 岩手県立美術館
2003年4月12日〜6月15日

 もし、僕が盛岡に住んでいなかったら、この展覧会は見ていなかった。いや、見逃していたと思う。ポスターに使われている作品のあまりにも鮮やかな色彩は、僕には縁も興味もない類のものだった。
 それでも、盛岡では美術展が限られているから、「ま、こういう機会じゃないと二度とお目にかかれないだろうし」という消極的な動機で出かけた。

 韓国というと直感的に(あるいは単なる先入観かもしれないが)派手な色彩感覚をイメージする。そのイメージどおりの展覧会だった。
 李朝時代の絵、装身具や衣類などから現代の映像芸術まで時空を超えた展示内容だが、「韓民族の色」という見方をすれば、連綿とつながっていることがわかる。
 現代の作家が「韓民族の色」を意識しているかどうか、それは僕にはわからない。意識しなくても出てくるものかもしれない。もしかすると、日本の統治下時代に「大和化」を強いられた過去があるから、自国の伝統や文化の再生を意識しているとも考えられる。
 それにしても屈託がない。たまたまそういう作品が揃ったのだろうか。鮮やかな色使いゆえに屈託がないと映ったのかもしれないが(ピンクの巨大な糞などはその最たるものです)。そういえば「みちのく国際ミステリー映画祭」にお招きしてきた韓国映画人たちも(日本の映画人と比べると)屈託がないものなあ。

 前回の「斎藤義重」展 は作品と共に美術館のスケール感を堪能させてくれる好企画だったが、今回も同様の印象を受けた。
 岩手県立美術館もオープンして、およそ1年半。ここに来ていよいよ真価と本領を発揮してきたと思う。というのも、正直、はじめのうちは違和感があって展覧会を心から楽しむことができなかた。展示作品と会場がうまくマッチしていないように感じられたせいだ。もしかすると、この美術館はヒューマンサイズを逸脱しているのかもしれない、とさえ思った。
 けれども、美術館というものは何年もかかって一人前になるのであって、最初から何もかもがカチッと決まるものではない。したがって、岩手県立美術館もようやく顔つきが整いだしてきたといったところか。

 展覧会を見終えたとき、何かふんわりと柔らかな気持ちに包まれていた。この気持ちを消したくなかったので、常設展は見ないで帰ることにした。「これは僕の領分、これは僕の領分の外」と簡単に決めてしまう傾向が僕にはある。この展覧会でそれを戒められたように思った。精神の柔軟性を失いたくないものだ。

◆このごろの斎藤純

〇もしイラクが無条件降伏という勇気ある決断を下していたら、と思う。それはイラクにとって、大きな利益となったはずだ。だが、仕掛けられた闘いに、闘いをもって挑む道をイラクは(あるいはフセインは)選んだ。その結果については何も言うまい。ひとつだけ、今後、どんなに長い年月を要してもアメリカの罪を明らかにしていかなければならない。大仰なようだが、それが人類の義務だと思う。
〇近所の桜が、ちらほらと花を咲かせはじめている。窓から見える山々も、濃い灰色から小豆色に変わりだした。芽吹きの色だ。山はもう少し経つと紫色になる。そして、さらに一カ月もすれば、薄い黄緑色に包まれる。やはり、僕は東北の風景が持つ、渋くて淡い色合いのほうがフィットする。
〇5月11日、田園ホール(矢巾町)で、伊藤奏子さん(宮古市出身、カンザス・シティ交響楽団コンサートマスター)のコンサートがある。チェロのマーティン・ストーリーとピアノの渡邉洋子のトリオで、モーツァルトのピアノ・トリオやヴァイオリン・ソナタ、チェロ・ソナタなど室内楽の真髄が楽しめる。郷土出身の音楽家が、忙しい合間をぬって帰国コンサートをひらいてくれるのは、とても嬉しい。今から楽しみにしている。なお、チケットは一般2000円、高校生以下が500円。問い合わせは019−697−5585田園ホールへ。

シェーンベルク 『浄夜』を聴きながら