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◆第64回  ギターを聴く その2( 9.February.2004)

 高田元太郎ギターリサイタルに行ってきた(2004年1月31日、盛岡市民文化ホール小ホール)。
 高田さんは『エンニオ・モリコーネ・クラシカル作品集』や『ブエノスアイレスの四季』(これは僕の愛聴盤だ)などのCDを出している。盛岡出身のタンゴ・ヴァイオリニスト喜多直毅氏と組んだ『ハイパー・タンゴ』でご存じの方も多いだろう。GLC学生ギターコンクール大学生の部第1位(1986年)を皮切りに、スペインギター音楽コンクール第1位、アランブラ国際ギターコンクール第1位(アランブラ賞も同時受賞)、アルゼンチンギタリスト会議主宰コンクール第1位、マヌエル・ポンセ国際ギターコンクール審査員特別賞など輝かしい受賞歴の持ち主だが、専攻は何と理論核物理(早稲田大学大学院理工学部出身)というから驚く。
 さて、演奏曲目は−−。

第1部
@ L.ミラン:第1、2旋法によるファンタジア第10番
A L.de.ナルバエス:皇帝の歌
B J.K.メルツ:「吟遊詩人の調べ」より〈マルヴィーナへ〉
C J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番 BWV1001よりアダージョとフーガ
D F.ソル:演奏会用断章Op.54

第2部
E H.ヴィラ=ロボス:前奏曲第3番
F A.アッセルボーン:一片の木/ひきがえる
G ふたつのボリビア民謡 (F.アルドウス編曲)
         〜イースターの朝
          チュンチョの別れ         
H A.ピアソラ(S.アサド編曲):ブエノスアイレスの冬、秋

アンコール
I A.ラミレス(飯泉昌宏編曲): アルフォンシーナと海

 高田さんは弾きだす前に、音楽への想念を右手で表現する(癖らしい)。指揮者のようなその動きに引きつけられて、聴き手も最初の音へ集中する準備ができる。つまり、演奏家と聴き手がここで心をひとつにするわけだ。
 ギターは「小さなオーケストラ」といわれる。ギターひとつで伴奏と旋律を演奏できるからだが、これには続きがあって「望遠鏡を逆から覗いて見たオーケストラ」だと。要するに「音の小ささ」をあらわす言葉でもあるんですね。だから、ギターは「静寂の音楽」ともいわれ(ヴァイオリンのほうが図体は小さいのに音量は遥かに大きい)、オーケストラのように漫然と聴いていても音に呑みこまれ、圧倒されるという音楽とは本質的に異なる。聴き手に繊細な音ひとつ聴き逃さない心構えが要求されるのがギター音楽の特徴だと僕は思っている。
 そのような心構えで聴くと、ギターはその音楽の高みと深みを存分に味わわせてくれる。

 実はこの日の演奏会には特筆しておくべきことがある。19世紀以前の作品を演奏した第1部で弾いた楽器は、盛岡在住のギター製作者水原洋さんがつくったラコート・レプリカ、第2部で使用した楽器は同じく水原洋さんの最新作なのだ(客席には、やはり盛岡在住のヴァイオリン製作者松本伸さんの姿があった。こういう方たちが盛岡にいることを僕は誇りに思う)。

 第1部で使われたラコート・レプリカは19世紀ギターと呼ばれている楽器で、現在のものよりもボディが小さく、弦長も短い。19世紀ギターは性能が劣っているためにすたれてしまったように思われているけれど、現在のギターとは違った響きがし、どこか色っぽい感じがした。それと、巷間いわれているほど音量も小さくはなかった。これは意外だった。
 もちろん、第2部のような曲を演奏するには、やはり向かないだろう。19世紀ギターには当然ながら19世紀までの音楽が相応しい。
 第2部では(もちろん僕は第2部のほうが好みなわけですが) 高田さんのヴィルトゥオージティが堪能できた。

 高田さんは盛岡に到着した日に、この新作ギターを初めて手にし、ステージに上がった。信じられないことだ(真新しい登山靴で岩手山に登るようなものといえばおわかりいただけるだろうか)。これは高田さんが図抜けたヴィルトゥオーソ(名人)だからできることであり、また「水原さんのギターのことはよくわかっているので」という信頼関係があればこそのことだ。高田さんと水原さんの交流がこのコンサートを実現させたわけだ。同様にFの作曲者アッセルボーンと高田さんは友人なので、高田さんを中心にギター製作者と作曲家が「三位一体に結ばれたコンサート」(水原氏談)ということになる。
 ギターは古いようで新しい楽器だ。高田さんの演奏を聴いて、ギター音楽は21世紀に大きく花開くに違いないと確信した。このことは次回に書きます。

 リサイタルの翌日、高田さんはギターを学んでいる人のための公開レッスンをひらいてくださり(とてもありがたいことだ)、午前中から午後にかけて6人の生徒にレッスンをつけた。僕は午後から聴講に行った。
 公開レッスンは楽器を習っている人ばかりでなく、僕のようなただの音楽ファンにとっても有益だ。なぜなら、先生は生徒を教える過程で作品の奥深くを掘り起こし、鮮やかな形(音)で示してくれる。そのようすを聴講していると「ああ、これはこういう音楽だったのか」と目からウロコが落ちる。かつてチェリストのシュタルケルやグァルネリ弦楽四重奏団による公開レッスン、 マスタークラスを聴講したことが音楽を楽しむうえで、とても役に立っている。公開レッスンやマスタークラスを楽器習得者だけの特権にしておくのはもったいないと思う。

 高田さんは教え方も上手だ。それもそのはずで、南米一の大都市ボリビアのラバス国立音楽院のギター科で主任教授をつとめていた(邦人では初めて)。現在は昭和音楽大学で教鞭をとっておられる。もっとも、教師の経験があるからといって、誰もが上手に教えてくれるわけではない。やはり、高田さんのギターに対する深い思いと人柄が反映されているのだろう。
 ギターを弾かれる方は高田さんのホームページにもぜひ訪問してください。
 http://village.infoweb.ne.jp/~takahome/guitar.htm

◆このごろの斎藤純

〇書店に新刊『沈みゆく調べ』が並んでいることと思います。これは、僕の今までの作風とはガラッと違うタイプの小説です。アイデアとしては、官能小説と幻想小説と音楽小説を合体させたものを考えた。で、ある方が「官幻楽(かんげんがく)小説」と名づけてくだった。言いえて妙。
〇ただ、今世間で官能小説と呼ばれているものは、エロ小説あるいはポルノ小説です(これは善し悪しを言っているのではありません)。僕が書きたかったのは、ある種の音楽を聴いたときにゾクゾクッとくる感覚です。これが本当の意味での官能小説なのではないか、と思っています。
〇カバーにはエゴン・シーレの作品が使われていますが(僕の好きな画家です)、小説を書いているときはバルテュスとデルヴォーの画集をよくひらきました。
〇大人のお伽話と思って読んでいただければ嬉しいです。

『ブエノス・アイレスのマリア』を聴きながら