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◆第65回  ギターを聴く その3( 23.February.2004)

 以前 、クラシックギタリストが好んで取り上げるグラナドスとアルベニスの曲が、もともとはギターのための曲ではないと知って驚いたという話を書いた(バックナンバー第62回)。
 もうひとつ驚いたことがある。クラシックギターという楽器の歴史が意外にも新しいのだ。こんなことを書くと「何をトンチンカンな」と思う方が少なくないと思う。フェルメールやフラゴナールの絵にもギターがよく出てくるではないか、と。
 ところが、フラゴナールが描いたギターをよくご覧ください。現在、我々が目にする(あるいは手にする)ギターより、ずいぶん小さい。これは画家がデフォルメしたのではなく、実際に小さかったんですね。フェルメールの『ギターを弾く女』に描かれたギターも小さい。さらに目をこらして見ると弦が8本もある。ギターの弦が6本になったのは18世紀末のことだという。そして、それ以前のギターは今と比べてボディが小さかった。
 
  現在使われているタイプのクラシックギターは、アントニオ・デ・トーレス・フラド(1817ー1892)によって完成された。トーレス以前のギターは、弦の数、弦の長さ、ボディの形や大きさなどが各地によってまちまちだった(今も民族楽器として、さまざまな形のギターが継承されている)。
  リュートがギターの先祖だと僕は思っていたのだが、チェロの先祖がヴィオラ・ダ・ガンバではないのと同じように、別の系統の楽器に分類されるのだそうだ。ヴィオラ・ダ・ガンバの曲をチェロで演奏するように、リュートの曲がギターで演奏されているので混同を招きやすい。形も弾き方も似ているが、弦の数もチューニングもギターとは異なる。
 つまり、ギター前史は長いが(それこそ古代エジプトまでさかのぼることができるだろう)、現在の形になってからまだ100年ほどしか経っていない。

 トーレスのギターが登場して以来、これが世界標準となった。トーレスはスペイン人なので、しばしばスパニッシュギターと呼ばれる。これがまたフラメンコギターと混同を招いてややこしい(フラメンコギターとクラシックギターは材質や構造などが異なる)。ガットギターという呼び方もある。フォークギターのように鉄弦を用いるギターに対して、クラシックギターはガット弦を用いるからだ(本物のガット弦は羊の腸をよじってつくるが、第二次大戦後はナイロン製になった。ナイロンガット弦と呼ぶこともある)。

 このように書くと、トーレス以前のギターが「よくない楽器」だったから駆逐されたように受け取られかねないが、そうではない。19世紀ギターと呼ばれる小型のギターはソル、アグアド、コストらロマン派の作品を演奏するのに都合がいい。たとえば、現在のクラシックギターでは指が届かない曲も19世紀ギターなら届く。ソルたちはトーレス以前の小型のギターを用いていたのだから当然だろう。
 ピアノの前身のフォルテピアノが名手の演奏によって復活したように、19世紀ギターも名手の演奏によって「音が貧弱」といった通説がくつがえされ、人気を集めている。

 さて、ヴァイオリンが16世紀には完成し、西洋音楽のメインの楽器として君臨してきたのに対して、ギターは6弦に定着しはじめたのが18世紀後半、今のサイズになったのが19世紀なのだから、新しい楽器と言っても間違いではないだろう( ま、リュートやその他の楽器から奏法や曲を拝借してきたので、それなりの歴史もあるんだけど)。
 歴史が新しいゆえに未開発の部分も残されているわけで、クラシックギターはまだまだ多くの可能性を持っている。奏法上のテクニックもそうだし、楽器にもまだ研究開発の余地がある。外観は同じでも、材料や構造などはヴァイオリンでは考えられないほどバラエティに富んでいる。

 クラシックギターの大きな特徴は新しい曲が聴けることだ。
 20世紀以降の作曲家の作品が、オーケストラなどのコンサートで取り上げられることは稀だが(バルトーク、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチくらいのものだろう)、クラシックギターのコンサートでは20世紀以降の音楽がたくさん聴ける。ジャズや中南米音楽、フラメンコ、12音技法、ロック、ブルース、カントリーなどの影響を受けたバラエティ豊かなレパートリーが充実していくなかでクラシックギターは、これまでにない大きな存在になっていくだろう。
 20世紀になって続々と登場したレパートリーについては、また改めて書きたいと思ってます。

 ところで、別の意味で驚いたことがある。クラシックギターに関する音楽書が少ないんですね。教本は星の数ほど出ていますが。
 ヴァイオリンやピアノに関する音楽書は選ぶのに困るほど出ているし、パブロ・カザルス(セゴビアと同じスペイン出身のチェリスト) に関する本もたくさん出ているのに、セゴビアやイエペスの伝記さえ読めないのはギター人口の多さを考えると異常事態のような気がする(ギター好きは本を読まないと思われているのかもしれない)。
 ちなみにカザルスとセゴビアは交流があってあたりまえのように思うが、実際はなかった。セゴビアがカザルスを嫌っていたのだそうだ。ま、どっちも頑固ものだから(そこが両巨匠の魅力なのだが)、似た者同士で、相容れなかったのだろう。
 どこか似ているかというと、二人とも「現代音楽」をレパートリーに入れなかったそうだ。セゴビアは同時代の作曲家の作品をレパートリーに入れはしたが、それは19世紀のロマン派の流れを汲むオーソドックスな内容のものに限られた。
 そんなところも含めて、二人ともきわめて19世紀的な音楽家だったと言っていいと思う。

◆このごろの斎藤純

〇3月に春秋社から『ツーリング・ライフ増補新装版』が、4月に早川書房から『銀輪の覇者』が出る。その準備で忙しいのだが、パソコンに向かうと猛烈に眠くなってしまう。仕事をしたくないという拒否反応が睡魔を呼ぶようだ。困ったものだ。
〇今週末、田園ホールで矢巾町民劇場第8回公演『晶光の空〜藤原健次郎物語』がある。
 藤原健次郎さんは矢巾(煙山村)白沢に住んでおり、盛岡中学時代の寮生活で宮沢賢治と知り合った。賢治は休日になると花巻の実家には帰らず、健次郎の家へ泊まり南昌山に登って水晶やのろぎ石を拾ったりしたという。健次郎の実家には賢治が描いた絵が残っていました。しかし、健次郎は野球部の遠征試合で秋田からの帰りに雨にうたれ疲労したことが原因で急逝してしまう。『銀河鉄道の夜』で謎とされていた「天気輪の柱」の新説や、カムパネルラは健次郎をモデルにしたのではないかという解釈も大胆に盛り込んだ意欲作だ。楽しみに出かけようと思っています。
 2回公演で2月28日(土)は午後18時30分開演、29日(日)は午後14時開演(開場は30分前)。木戸銭は一般1,000円、ペア券(2名様)1,500円(前売り券のみ)。

バリオス作品集/ジョン・ウィリアムズを聴きながら