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◆第69回 いくつもの!と?[ゴールデンウィークのお薦め] ( 19.april.2004)

 スーパーリアリズム展 岩手県立美術館
 (2004年4月4日〜5月16日)

 一見、写真展かと勘違いするほどリアルな絵の展覧会だ。ショーウィンドウ(と、そのガラスに映る通行人、車、街並み)、都会あるいは田舎の街角、ハーレーのオートバイなど描かれた対象はさまざまだ。風景ばかりでなく、小物や室内を描いた静物画もある。
 ラルフ・ゴーイングスの〈ホワイト・タワー〉の前で足が止まる。レストランの白いテーブルに、紙ナプキンの上に置かれたステンレスのスプーンと白いコーヒーカップ、大きな砂糖入れ、小さな塩・胡椒入れ、プラスティックのボトルに入ったケチャップとマスタードが並んでいる。金属と樹脂類と紙の質感、光線(光と陰)、もっと言うとその場の空気まで克明に描かれている。カンヴァスに筆で描いた油絵なのだが、ちょっと信じられない。
 「本当は写真ではないのか?」
 うんと目を近づけて観察した結果、砂糖入れのステンレスの部分に使われているホワイトに、油絵独特の盛り上がりを認めて納得した。確かに油彩画だ。
 納得はできるが、やはり「!(驚き)」であることに変わりはない。筆のタッチがまったく見えないのは、西洋絵画の伝統的手法にあるにはあるのだけれど、尺度がまったく違うと言ったらいいだろうか(エアブラシを使用した作品も多数出ている。エアブラシは、当然、筆の跡がつかない)。

 本展覧会の作品は制作過程に写真を使うという共通点がある(ラルフ・ゴーイングスの場合はカラースライドをカンヴァスに投影し、下絵を描き、彩色していく)。それで、「フォトリアリズム」と呼ばれているが、日本では一般的に「スーパーリアリズム」という用語が使われる。1970年代にひとつの動向として認知されたというから、ひじょうに新しいジャンルだ。
 共通点は技法だけではない。描かれた対象はさまざまだが、そのどれをとっても、いかにもアメリカ的であることに気がつくだろう。

 アメリカの日常の光景を切り取るというコンセプトはホッパーにも通じるが、フォトリアリズム絵画からはホッパーのようなストーリー性(疎外感、孤独感、頽廃、疲弊など)はあまり感じとれない。むしろ、ストーリー性や感情を持たせないように、画家が注意を払っているようでさえある。
 感情を排しているという点では、ハードボイルド小説に通じる。ハードボイルド小説は(フォトリアリズムと同じ)アメリカで、フォトリアリズムより30年〜40年ほど早く誕生した。ハードボイルド小説ではしばしばフォトリアリズム的な描写が行なわれる。フォトリアリズムとハードボイルド小説には内面的にかなり共通点が多いような気がする。

 アメリカは20世紀に抽象芸術を発達させた国だが、一般的には具象絵画の愛好者が圧倒的だろう。印象派の作品をフランスよりも持っているかもしれないこの国では、バルビゾン派や印象派の影響を受けたハドソン・リヴァー派などの風景絵画の伝統がある(伝統と呼ぶにはまだ歴史が浅いだろうか)。フォトリアリズムはこの伝統から外れるものではないと僕は感じた。山や樹木や川を描く代わりに、ビルや車や看板を描くようになっただけのことではないか。

 ロバート・コッティンガムの〈キャンディ〉について、岩手県立美術館の大野正勝学芸員からうかがったお話は面白かった。この絵はブルックリン近隣の古い街にあったキャンディ・ショップの看板(店先)を描いたもので、そこに住んでいる人たちにとっては馴染み深く、ある意味で懐かしい光景なのだという。この作品はニューヨーカーには「ああ、あそこのお店だ」とわかる。つまり、観る人と作品の距離がひじょうに近い。これがフォトリアリズムが人気を得ているひとつの理由ではないか、とのことだった。

 それにしても、何が描いてあるのかこれほど明確な絵画の展覧会も珍しい(モネの〈睡蓮〉シリーズにだって絵の具をでたらめに塗りたくったようなのがあり、面食らった人たちも少なくなかった)。にもかかわらず、いくつもの「?」が湧いてくる。列挙してみよう。

[1] どうして写真みたいな絵を描く必要があるのか。なぜ、写真ではいけないのか。
[2] フォトリアリズムは技術を誇る、あるいは競う絵画なのか。
[3] 上の2つに関連して、フォトリアリズムは、観る者の目を欺く(あるいは驚かせる)ことを目的とする一種の「騙し絵」なのか。
[4] 広告にもしばしばリアルなイラストが使われるが、そういう商業イスラトとフォトリアリズムの違いは何か。

 以上に関して、僕は答えを持っていない。そして、上記のことを考えていくと「そもそも、これは芸術なのか」という問いに行き当たる。すると当然、「では、芸術とはいったい何なのか」という究極の問いにまで追い詰められるだろう。ひじょうに楽しみな問いかけではあるけれど、これは老後の楽しみにとっておくことにする。
  カタログ(図録)もぜひ手にとっていただきたい。多くの場合、カタログと実物のあいだには大きな隔たりがある。最新の印刷技術でも、油絵や水彩画の繊細な風合いは再現できないのだ。しかし、本展覧会の場合は、写真をもとに写真のように描いた作品をまた写真に戻した結果、その作品はどう見ても写真にしか見えないという、ややこしいことになっている。こういう体験も他ではできない。

 いろいろ理屈をコネてみたものの、実際はただただ驚きの連続だ。これは子供が観ても面白いだろう。いや、子供たちがどんな反応をするのか、そのほうが僕としては興味があるが。
 ゴールデンウィークは観光地も新幹線も混んでいるから、うちで過ごすという方も多いと思いますが、この機会にぜひ県立美術館にお出かけください。絶対にびっくりします。

◆このごろの斎藤純

〇冬のあいだ仕舞いこんでいた自転車(ビアンキ)を組み立て、ペダリスト・ライフを始動させた。ペダリストとは自転車のペダルをこぎながら(つまり、フィールドワークをしながら)考える人というような意味で、実は僕が考案した造語だ。盛岡が自転車で快適に暮らせる街になったら、どんなに素敵だろうかと思う。
〇以前に『銀輪の覇者』が4月刊行予定とお知らせしましたが、出版社の都合で6月に延期になりました。
〇『旅フェア2004』のトークショーに出演するため名古屋に行ってきた。真夏のような暑さに驚いたが、「北東北はこれからが桜の見頃」と話すと名古屋の人たちも驚いていた。入場者数が3日間で20万人を突破する賑わいに、 巨大なナゴヤドームも狭く感じられるほどだった。ミスさんさらによる「さんさ踊り」のデモンストレーションもなかなか評判がよかった。

武満徹ギター作品集/鈴木大介を聴きながら