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◆第71回 ギターを聴く その4 ( 17.may.2004)

 20世紀のクラシック音楽作品のなかで最も有名な曲は何だろうか。ラヴェルの「ボレロ」(1928年初演)は広く知られているほうだと思うが、ストラヴィンスキーの「火の鳥」(1910年初演)や「春の祭典」(1913年初演)となるとちょっと怪しい。エルガーの「チェロ協奏曲」(1919年初演)は名曲だが、果たしてどれだけの人に知られているか。プロコフィエフやショスタコーヴィチの諸作品はクラシック音楽ファン以外には知られていないだろう。
 そんななかで文句なく誰もが知っている曲がある。ロドリーゴの「アランフェス協奏曲」(1940年初演)だ。

 ただし----。
 本来、「アランフェス協奏曲」はギター独奏とオーケストラによる音楽なのだけれど、第2楽章がイージーリスニングとして知られているし、ジム・ホールやマイルズ・デイヴィスらジャズの名演もあるので、オリジナルを聴いたことがある人となるとグッと少なくなるとは思うが。

 さらに----。
 この曲が超有名曲であるにもかかわらず、どこのオーケストラもチャイコフスキーのピアノ協奏曲やメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のようにたびたび演奏しようとはしない。
 ギタリストが自分の演奏会でこの曲を演奏しようと思ったら、オーケストラを丸ごと(指揮者も!)雇わなければならないのでまず不可能だ。
 だから、この曲を実際にライヴで演奏する機会を得るギタリストはとても少なく、これを経験しないで一生を終えるギタリストが圧倒的多数だろう。ひいては、これを生で聴かずに一生を終えるクラシックギターファンも圧倒的多数だろう。

 みんなが知っている曲なのに演奏される機会がないというのは不思議だ。しつこいけど、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を聴かずに一生を終えるヴァイオリンファンは皆無と言っていい。これはいずれ改めて考えるが、クラシックギターというジャンルを象徴するできごとだと僕は思っている。

 それはともかく、「アランフェス協奏曲」を生で聴くという「貴重な」機会があった。
 昨年開館した北上市文化交流センター(通称のさくらホールという呼び方に統一してほしいのだが、新聞などの催しもの案内には北上市文化交流センターと掲載される。それはいったいどこだ?と思った)にホームグラウンドを移した北上フィルハーモニー管弦楽団の「第六回 題名のある音楽会」(2004年5月9日)のプログラムに入っていたのだ。

 この日は「アンダルシアの風に吹かれて」という題で、下記のようにスペインはアンダルシア地方を舞台にした名曲が演奏された。

〈第1部〉指揮:鈴木一実
@ ジョアッキーノ・ロッシーニ:歌劇「セビリャの理髪師」序曲
A ジョルジュ・ビゲー:「カルメン」第1組曲より
   アラゴネーズ
   間奏曲
   闘牛士
   「カメルメン」第2組曲より
   ハバネラ
   ジプシーの踊り

〈第2部〉 指揮:折居周二
B ホアキン・ロドリーゴ:アランフェス協奏曲(ギター独奏:伊藤隆)
C マヌエル・デ・ファリア:バレエ音楽「三角帽子」組曲より

アンコール ファリャ:「恋は魔術師」から「火祭りの踊り」

 CDでこの曲を聴いているときは迂闊にも気がつかなかったのだが、これはギタリストに超絶技巧を要する難曲だ。スペイン音楽(というかフラメンコ)独特のリズム感も厄介だ。スペインの留学を終えて帰国した際のコンサートで伊藤さんはこの曲を弾き、大絶賛を浴びたという。 そんな伊藤さんの演奏によって「アンダルシアの風」を感じた方も少なくないと思う。
  ギターは音量の小さな「静寂の楽器」だから、オーケストラとの共演にはいろいろな障害がある。たいていの場合、オーケストラの人数を減らすのだが、北上フィルはフルメンバーのままで挑んだ。ストリングセクションを2〜3人ずつ減らしたほうがバランスがよかったように思う。ギターの前にマイクを立てていたので、補助的にPAを使ったのかもしれないが、それが気になるということはなかった(クラシックでは声楽家だってマイクを使わずにオーケストラと共演する)。
 ギターよりもイングリッシュ・ホルン(これも決して易しい楽器ではない)が活躍する第2楽章を会場のみんながうっとりと聴きほれていたことは特筆しておきたい。

 スペイン音楽の哀愁たっぷりの叙情性、躍動感を存分に味わわせてくれる音楽会だった。北上フィルはこういう「民族色の濃い」音楽を得意としているような気がする。
 北上フィルと伊藤さんとの幸福な出会いがこの演奏会を成功に導いたわけで、音楽というのも結局のところは人と人との出会いやつながりなのだと改めて思った。

  僕はさくらホールは初めてだった。音響がいいのは最新のホールなのだから当然として、設備も環境もとてもいいホールだと思った。「ホールは人々の集う広場」とは確か平田オリザ氏の言葉だが、さくらホールはそれを実践しようとしている。後は利用者の意識の問題だろう。
 また、ホールは建物が完成した時点では半人前でしかない。いい響きを糧にホールは成長していく。さくらホールは地元に素晴らしい糧を持っている。  

◆このごろの斎藤純

〇6月13日に県民会館大ホールで行なわれる手話劇「運転免許裁判」に裁判長役で出演するため、時間をやりくりして稽古に入っている。これは第52回全国聾唖者岩手大会のなかのイベントのひとつで、聾唖者が運転免許を獲得するきっかけとなった岩手での裁判を再現している。偏見と無理解(無知)がいかに理不尽な差別を生んできたか、この裁判劇からもわかる。
〇岩手放送の大塚冨男さんも出演者の一人だ。聾の人たちと一緒に稽古をしているうちに「誰が聾で、誰がそうじゃないのか、区別がつかなくなる」と笑っていた。まったく違和感なく融け合っているわけで、世の中、すべてがこうあってほしいものだと思う。
〇現在発売中のオートバイ・ツーリング誌「アウトライダー」に短編を書いていますので、書店で見かけたら手にとってください。なお、この号の表紙と巻頭特集の写真が盛岡在住の小原信好さんです。素晴らしい写真にオートバイ乗りじゃなくても魅了されるはずです。

ブラック・デカメロン/ジョン・ウィリアムズを聴きながら