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◆第74回 ヴィオラ・スペース2004 ( 28.june.2004)

2004年6月15日 紀尾井ホール(東京都千代田区) 午後6時30分

 今井信子が中心になってスタートしたヴィオラ音楽の祭典〈ヴィオラスペース〉が12年目を迎えた。新作を含むヴィオラ音楽のレパートリーが並ぶコンサートの他、ゼミナール、若手演奏家を対象とする公開レッスンやマスタークラス(東京、大阪)、ミニ・コンサートなどがその内容だ。6月15日のコンサートに行ってきた。

〈プログラム〉曲名後の( )内は発表あるいは出版年
@ 野平一郎:ヴィオラのための〜戸外にて(ヴィオラスペース2004委嘱作品/日本初演/2003)
  I 夜の音楽  II 行進曲  III 夜の音楽2
  今井信子(ヴィオラ)

A モーツァルト:フルート四重奏曲 第4番 イ長調 K.298(1786-87)
  I アンダンテ II メヌエット III ロンド:アレグレット・グラツイオーソ
  有田正広(フルート)、豊嶋泰嗣(ヴァイオリン)、川本嘉子(ヴィオラ)、辻本玲(チェロ)

B ベリオ:二重奏曲より 第6番ブルーノ、第27番アルフレード、第18番ピエロ、第19番アニー、第24番アルド、第29番アルフレッド(1979-1983)
  ガース・ノックス(ヴィオラ)、川本嘉子(ヴィオラ)

C アドルフ・ブッシュ:3つの歌曲 Op.3a(1918)
  I 「もの陰に夕闇がせまり」 II 「悲しみの喜び」 III 「天の眼から」
  白井光子(メゾ・ソプラノ)、川本嘉子(ヴィオラ)、野平一郎(ピアノ)

D ガース・ノックス:不幸に見舞われ〜ヴィオラ・ダモーレと5本のヴィオラのための(2001)
  ガース・ノックス(ヴィオラ・ダモーレ)、赤坂智子/青木篤子/福田タチアナ千尋/大島亮/村上淳一郎(ヴィオラ)

E フランク・ブリッジ:アルトのための3つの歌(1906-07)
  I 「遠く、離ればなれになって」 II 「我々の魂は何処へ」
  III 「やさしい声が失せたとき音楽は」
  白井光子(メゾソプラノ)、豊嶋泰嗣(ヴィオラ)、野平一郎(ピアノ)

F モーツァルト:協奏交響曲 変ホ長調 K.364(320d)(1779)
  I アレグロ・マエストーソ  II アンダンテ  III プレスト
  豊嶋泰嗣(ヴァイオリン)、川本嘉子(ヴィオラ)、有田正広(指揮)、桐朋学園オーケストラ

 モーツァルト(1759-91)以外、ほとんど馴染みのない作曲家ばかりだと思う。ベリオ(1925-2003)と野平一郎は現代音楽(もっと言うなら、前衛音楽)を牽引してきたトップランナー、ブッシュ(1891-1952)は著名なヴァイオリニスト。作曲もしているとは知らなかった。
 ガース・ノックス(1956-)は現代音楽専門の弦楽四重奏団であるアルディッティ弦楽四重奏団でヴィオラを弾いていた(1900-98在籍)。ノックスの楽器ヴィオラ・ダモーレは「甘いヴィオラ」といった意味だろうか。ヴィオラとは呼ばれていても、これは古楽器ヴィオラ・ダ・ガンバの一族で、我々が目に(耳に)するヴィオラとは別の種族。だから、弦の数も多いし、調律もヴィオラとは異なる。

 @は、特殊奏法と超絶技法が駆使され、今井信子さん以外にこれを弾きこなせる方はいないだろうというような難曲。演奏するほうも難しそうだが、聴く側にも難しい音楽だった。なにしろあの哲学者の容貌の野平さんがつくった曲だ。耳にやさしく、のほほんとした音楽であるわけがないと覚悟はしていたが。
 しかし、前衛音楽(といっていいのかどうか)は、つくる側も大変だろうな、と思う。なにしろ、昨日の前衛は明日には前衛ではなくなる。こういう世界のなかで、常に前衛でありつづけるということは、どういうことなのだろう。

 片やノックスは、前衛とか現代音楽といった枠を最初から意識していない(と思う)。ヨハネス・オケゲム(15世紀)からの引用によるDは、古楽と現代音楽が混ぜ合わされた音楽で、その混ぜ加減が心地いい。また、5人の若手演奏家が各章ごとに立つ位置を変え、視覚的効果(会場内では音響効果も)を上げていたのもユニークだった。
 やはり、これは書いておきたいが、@とは明らかに異なる、聴衆の自発的で好意的な拍手がこの曲には盛大に送られた。
 ノックスはヴィオラ・ダモーレをPAに通したが、音を増幅させるためではなく、倍音の残響を増幅させるという使い方をしていた。これは不思議な音体験を我々に与えてくれた。

 Fでは桐朋学園オーケストラが、各自リサイタル用にしつらえたドレスで登場したのものだから、とても華やかな(というよりも、賑やかな)ステージになった。
 第1楽章序盤で川本さんのビィオラの弦が「バチン!」という大きな音と共に切れた。こういう場合、普通は第1ヴィオラのヴィオラを借りて弾きつづけるのだが、この曲の場合、そうはいかない事情があった。
 モーツァルトはこの曲で、ヴィオラを2音高く調弦するように指定している。弦の張りを強くすることで、もう一本の独奏楽器であるヴァイオリンに負けない響きを得ようという工夫だ(張りが強い分、弦も切れやすい)。結局、川本さんは弦を張り替え、第1楽章の最初からやり直した。
 そういうアクシデントにもかかわらず、のびのびと明るいモーツァルトで楽しませてくれた。               ヴィオラという楽器はオーケストラのなかでは目立たず、しかし、重要な役割を果たしている。独奏楽器としては20世紀に入ってから脚光を浴びるようになり、ヴィオラを主役にした作品もいっきに増えた。僕は21世紀以降もヴィオラはますます注目の度合いを高めていくだろうと信じている。このへんのことについては、拙著『音楽のある休日』(河出書房新社)に書いているので、興味のある方はどうぞ。

◆このごろの斎藤純

〇2001年から02年にかけて岩手日報夕刊に連載した『銀輪の覇者』が単行本になって書店に並んだ(早川書房/2000円)。なにしろ、1000枚を超える長編なので、2段組の分厚い本になってしまった。
〇戦前、日本でもツール・ド・フランスのような自転車ロードレースが盛んだった。その伝統が戦争をはさんですっかり途絶えてしまったが、それにはどんな事情があったのか。
〇自転車ロードレースという過酷で美しいスポーツを描きつつ、当時の時代の流れを僕なりに描いたのが『銀輪の覇者』だ。自転車レースの小説って、どうも他には見あたらないので「初の自転車レース小説」と言っていいかもしれない。ぜひ、お手にとっていただきたいと思います。
〇40度近い高熱を出し、ほぼ一週間寝込んだ。みなさんもご注意ください。

アルカンの室内楽集を聴きながら