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◆第80回 音楽の世界に見る岩手の沿岸パワー ( 20.september.2004)

 9月4日土曜日、ネイティヴ・サンのコンサートがあった。ネイティヴ・サンは1970年代後半から80年代にかけて、一世を風靡したフュージョン・バンドだ。これまでにも何度か復活を望む声があったが、今回、盛岡の岩手県教育会館で一夜だけの復活コンサートが実現した。

 リーダーの本田竹広さんは1969年にデビュー以来、常に日本のジャズシーンを引っ張ってきたピアニストだが、95年と97年の二度にわたって脳内出血で倒れ、そのつどピアニストとしては「再起不能」と宣告された。
 入院している病院にたまたまピアノがあった。まだ歩くことも不自由だったのに、本田さんはピアノの蓋をあけ、指一本で童謡を弾いた。他の患者さんたちから「上手だなあ、もっと弾いて」とアンコールがあった。これが本田さんをまたピアノに向かわせるきっかけになった。
 結果はその後の精力的な活動が示している。

 ところで、日本では音楽家に関する付随情報が重要視される傾向が強い。つまり、本田さんの場合は「二度の脳内出血を不屈の精神で乗り越えた奇跡のピアニスト」ということになり、これが一種のレッテルとなる。しかし、事実は事実として、そういう括り方で本田さんを捉えるのは、ある意味で失礼なんじゃないだろうか。
 我々が聴くべきは音楽そのものだ。すべては音楽で判断されなければならない。
 その体験は音楽に深く影響を与えたに違いない。ただし、それがちゃんと音楽にあらわれ、我々の耳に届かない限り、まったく無意味であると言っていい。

 この日の本田さんの音楽を語るのに「二度の脳内出血を不屈の精神で乗り越えた奇跡のピアニスト」というレッテルは不要だ。そういうフィルターを通して聴くと、本質から外れてしまう可能性がある。
 音楽として素晴らしいか、そうでないか。結局はそれが一番大切なのだ。
 そして、もちろんこの夜の音楽は素晴らしかった。失礼ながら(というよりも、僕は大いに恥じ入ったしだいだが)、それは僕の予想を遥かに上回るものだった。
 メンバーは、峰厚介(テナー&ソプラノ・サックス)、村上寛(ドラムス)、福村博(トロンボーン)以上がオリジナルメンバーで、宮崎健(ギター)、バカボン鈴木(ベース、この人は僧侶でもある)が加わった編成だ。

 上にレッテル(本田さんの病歴)はいらないと記したが、フュージョンバンドというレッテルもいらないと思った。怒濤のごとく押し寄せるインプロヴィゼーションのレベルの高さ(だからって、難しいという意味ではない)、聴衆を包み込むおおらかさと緊張感、音楽に向き合う真摯な姿勢、それらのすべてが生み出す超弩級のエンターテインメントであり、なおかつ純粋な芸術でもあった。

 ところで、この日、本田さんはフェンダー・ローズを主に弾いた。この楽器を(商品名だからという理由からか)エレクトリック・ピアノと表記する場合が少なくないが、それはあまりに鈍感というかお粗末というか、わかってなさすぎです。
 フェンダー・ローズにはこの楽器でしか出せない独特の音と、それによって醸しだされるムードがある。日本ではチック・コリアの『リターン・トゥ・フォーェヴァー』がフェンダー・ローズの普及推進を促したが、映画音楽のラロ・シフリンもこの楽器ならではの曲を『ダーティ・ハリー』シリーズなどで披露している。
 こんにち、この楽器を本田さんほど使いこなせる人は、もう数少ないのではないか。そんなことも思った。
 なお、このコンサートは盛岡市内のジャズスポット「スピークロウ」の開店15周年を記念し、実行委員会の主催で行なわれた。アンコールではスピークロウのマスター木村悟さんも登場してサックスを豪快に吹き、喝采を浴びた。

 さて、上記の翌日、本田さんと同じ宮古市出身のヴァイオリニスト伊藤奏子さんのコンサートがあった(第78回をご参照ください)。 伊藤さんの演奏を僕は3年前にも聴いているが(シベリウスのヴァイオリン協奏曲)、以前にも増してヴァイオリンの音が豊かになり、音楽にも奥行きが感じられるようになった。これは伊藤さんがコンサートミストレルをつとめているカンザスシティ交響楽団での経験の成果と言っていいだろう。
 この日のために特別編成されたオーケストラ・アンサンブル2004(岩手県民オーケストラ、弦楽合奏団バディヌリ、WTB合奏団、盛岡シティブラス、木管アンサンブル・アルモニコなどのメンバーからなる)との練習を見学させてもらったが、伊藤さんの指示を聞いていると、音楽を読み解いていく喜びを束の間味わうことができ、とても面白かった。ディテールを注意しても、それはやがて次のフレーズにつながる。そして、音楽全体につながる。結局のところ、遠い先まで見通すことで、その小節ごとの演奏の意味が明確になるわけだ(この逆もまた真なり)。

 また、この日は伊藤さんの夫でもあるマーティン・ストーリー氏がバッハの無伴奏チェロ組曲1番を弾いたのだが、これが凄かった(小説家が「凄かった」なとと書いては失笑を買うのは承知のうえです。だって、本当に凄かったんだもん)。ご本人は「あんな大きなホールで、しかも管弦楽曲の後で演奏するのはきつい」とプレッシャーを感じておられたようだが、高い集中力と演奏能力で、密度の濃いバッハを聴かせてくださった。

 芸大で音楽を専門に学ばれた方と一緒にこのコンサートを聴いた。終了後、彼は「芸大オーケストラよりも、うまいかもしれない」と呟いた。これは芸大出身者としてはあまり大きな声では言えないことだろう(大きな声で言ってほしいのだけど)。
 また、彼は指揮者の寺崎巌さんを高く評価した。
 「そこそこ楽器を弾ける人はたくさんいると思います。でも、これだけまとめあげることができる人は、そうはいないでしょう。心から敬服します」
 何だか自分が褒められたような気がして嬉しかった。

 ところで、前回紹介した〈ざ・CLASSIC'04 岩手にゆかりのクラシックアーティスツ〉に出演していた原田智子さんは陸前高田のご出身だ(音楽教室は宮古と盛岡に通ったとうかがっている) 。ウィーン在住の菅野祥子(ソプラノ歌手)さんも陸前高田出身。伊藤奏子さんと寺崎巌さんは宮古出身。畑違いではあるけれど(もともとはクラシックピアノを勉強していた)本田竹広さんも宮古出身。
 沿岸出身の音楽家が世界的レベルで活躍しているという事実は注目に値する。
 いったい、どうしてなんでしょうね。おいおい考えていきたいと思っています。

◆このごろの斎藤純

〇小説に専念したいのだが、重なるときは重なるもので、他の仕事の依頼がつづいている。今月は正直なところ体が2つほしい。が、不景気の波は我々自由業者を簡単に飲みこむので、この業界でも失職者が続出している。注文があるのは必要とされている証だ、と自分に言い聞かせている。

〇新刊『オートバイの旅は、いつもすこし寂しい』(ネコ・パブリッシング刊)の発売を記念してサイン会を行ないます。3名くらいしかお客さんがいないというのではあまりにも悲惨ですので、どうかみなさんお誘い合わせのうえ、足をお運びください。

●開催日時:9月23日(秋分の日) 13時より
●開催場所:岩手県北上市北鬼柳32地割42  ブックスアメリカン北上店駐車場
なお、東京では世田谷のオートバイ&車専門書籍店「リンドバーグ」で来月中旬開催予定です。

マスネ:絵のような風景/ガーディナー指揮、モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団を聴きながら