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◆第91回 ギターを聴く その6 (21.February.2005)

 初めてギターを手にしたのは小学校6年のころだったと思う。なぜ、ギターを手にしようとしたのか記憶にない。その前から家にはウクレレがあった。父親がもらってきたのかもしれない。
 ウクレレもギターもさほど熱中することがなかった。

  ギターに熱心に取り組んだのは中学に入ってからのことだ。つまり、同世代の他のギター好きと同じで、当時、一世を風靡したフォークブームがきっかけだった。ヤマハの確かFG-120というモデルを弾いていた。基本的なアルペジオとスリーフィンガーをこのころ覚えた。それができなければ、フォークソングの弾き語りができなかったからだ。

 高校に入ってすぐにエレキに持ち替えた。グレコのSGモデルだ。他校と比べてロックが盛んな高校で、2年先輩のNは大学に入った後にプロデビューしている(その後、大麻事件を起こし、引退してしまったが)。僕もロックバンドを組んで、学校では禁止されていた自主コンサートを仲間たちとひらいたりした。ディープパーブルやレッド・ツェッペリン、そしてエリック・クラプトンをよく聴いていたが、バンドはキャロルのコピーバンドで「クリスマス・キャロル」といった。
 当時、盛岡バスセンター向かいにあったエンドーチェーンに岩手放送のサテライトスタジオが入っていた、そこで何度か演奏した。これが音楽活動で得た初めてのギャラ(コーヒー代程度だったが) だ。岩手大学のクリスマスパーティに呼ばれて演奏をしたこともあった。

 バンドでロックンロールを演奏しつつ、いつしかブルーズ(一般にはブルースと表記し発音されるが、ピーター・バラカンにならってブルーズとします)を知り、これにのめりこんだ。「8-6」というジャズ喫茶がブルーズのライヴもやっていて、よく聴きに行った。そこに出ていた人たちは今も盛岡で活動している。
 ジャズも聴きはじめていた。クラシックもサティやラヴェルなどを少しずつ聴いていた。それらについてはいずれ改めて書くとして、ギター話をつづけます。

 ブルーズにはかなりのめりこんだ。後にFM岩手に入り、ディレクターとして音楽番組を担当するようになったとき、ブルーズを聴いてきたよかったと思ったものだ。なぜなら、ブルーズを聴いていたおかげで、ロックもソウルもちゃんと本質的な聴き方ができたからだ。「いい耳」をブルーズによって育ててもらった。それに、面白いことにブルーズマニアは他のジャンルのマニアと違い、間口が広い。要するにいろいろな音楽に対して耳がひらかれている(たとえば、坂本龍一は芸大時代にブルーズバンドでピアノを弾いていたそうだし、近藤房之助はかつてブレイクダウンという人気ブルーズバンドを組んでいた。エリック・クラプトンも、ブルーズのコピーバンドが出発点だった)。

  ブルーズとの出会いは、岩手放送のレコード室でアルバイトをしたときのことだ。ブルーズを紹介するコーナーのある洋楽番組があり、ディレクターが選曲するのをそばで聴いているうちに好きになった。
 最初は「妙な音楽」くらいにしか感じなかった。ロックと比べてギターの音色も、旋律も、リズムも古臭くて、「いかさないナ」と思ったものだ。
 ところが、しつこく耳に入ってくるうちに、だんだん惹かれていった。最初に好きになったのはブルーズ・ハープ(ハーモニカのこと)のジュニア・ウェルズとギターのバディ・ガイだった。この二人は共演も多く、来日公演も二人で来ている(残念ながら、そのコンサートには行けなかった)。
 それから、ハウリン・ウルフ、マディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフとシカゴ系にどっぷり浸り、さらにメンフィス・スリム、Tボーン・ウォーカー、ピー・ウィー・クレイトンなどのメンフィス系にも興味がひろがった。もちろん、B.B.キング、フレディ・キング、アルバート・キング(以上はブルーズ界の3キングなどと呼ばれる)、オーティス・ラッシュなどのアーバン系も聴いていた。
 いや、聴くだけではなく、ブルーズを必死にコピーした。生意気にも僕はギブソンのES335を持っていた(楽器屋の社長が「うちでアルバイトをして払えばいい」と言ってくださったのだ)。あのころは、ギターを(毛布代わりに)かけて寝ていた。
 ブルーズの延長で、エリック・クラプトンやオールマン・ブラザース・バンドを聴いた。

 学生時代がブルーズ・ブームと重なっていたおかげで、フェントン・ロビンソン、アルバート・コリンズ、オーティス・クレイなど現役ブルーズマンの新譜や来日コンサートに恵まれた。そして、ウェストロード・ブルーズバンドやブレークダウン、ブルーズハープの妹尾隆一郎らの生演奏をたっぷり聴くことができた(そのために僕はブルーズのライヴハウスやブルーズ酒場がある高円寺に住んでいた)。

 実は僕もブルーズバンドに入っていてコンサートやライヴハウスで何度か演奏をした。先日、当時の録音が出てきて懐かしく聴いた。思ったほど悪い演奏ではないので、ホッとした。
 ブルーズバンドの他にロックバンドも組んでいて、ドゥービー・ブラザースやイーグルスのコピー曲をやっていた。
 ただ、プロになりたいと思ったことは一度もなかった。

 5年かかって大学を出るころにはバンド活動をやめていたし、聴いている音楽の傾向もずっとジャズよりになっていた。
 そのころ、僕はギター手放した。「音楽は聴くだけにしよう」と決意したのだ(その後、20年以上、この決意は守られた)。

 僕が十代のころは(特に僕のような不良少年は)オートバイに乗るか、ギターを弾くかのどちらかだった。僕はオートバイにも興味があったが、高校では禁止されていたし(それでも乗っている連中はいた)、親が絶対に許してくれなかったのでギターに進んだ。
 結果的によかったと思っている。大人になってギターを一からはじめるのは容易なことではないが、オートバイは大人になってからでも充分に間に合うからだ(実際、僕がオートバイに乗りだしたのは30歳からだし、大型免許は40歳で取っている)。

  以上、大急ぎでギターとの関わりを振り返った。タイトルは「ギターを聴く」となっていますが、今回は「ギターを弾く」のほうが相応しかったかもしれません。次はいつになるかわかりませんが、ジャズのことを書きたいと思っています。

◆このごろの斎藤純

〇ウィンタースポーツをやらないので、体がなまっていく一方だ(太らない体質なので外観は変わらないが)。執筆時の集中力もきわめて低い。何かいい対策がないのものだろうか(やっぱりスキーをやるしかないか)。
〇弦楽合奏団バディヌリが新潟中越地震・スマトラ沖地震救済チャリティコンサート「トランペットと弦楽の夕べ」をひらきます。
・3月5日(土)18:30から都南文化会館大ホールにて
・入場料一般1,000円高校生以下無料(会場で募金活動を行ないますのでご協力ください)
・プログラム
 第1部 ヴァイオリンと弦楽
 ヴィヴァルディ:四季より「冬」「春」
 (ソロヴァイオリン長谷部雅子)

 第2部 トランペットと弦楽
 ゴットファーザー愛のテーマ
 シェルブールの雨傘
 浜辺の歌 ほか
 (トランペットソロ 小山宣夫)

Snobbism/nativeを聴きながら