出光コレクションが誇るルオー・コレクション展を観てきた。
私が絵に興味を持つようになったのは10代の終わりごろだった。当時、私が惹かれたのはデュフィ、マティス、ルオー、ビュッフェ、藤田嗣治だ(ちなみに、そのころは印象派を退屈だと思っていた)。後年、松本竣介を知ったときも、この路線の延長で受け入れた。
共通点がある。
それは線だ。
描線を否定することが近代絵画の正当な流れだったわけだが、上記に挙げた画家は(いわば一種の先祖がえりで)線を積極的に用い、それぞれの画風(様式といってもいい)を確立した。
さらにデュフィ、マティス、ルオー、ビュッフェは初期にセザンヌに傾斜しているのも共通しているし、また、この4人は音楽とも深く関わっている。
線に関していうと、日本の絵画は線の芸術だった。浮世絵はその典型だろう。
日本画や東洋美術全般、陶磁器のコレクターだった出光佐三(出光興産の創業者)はルオーの〈受難〉を観た瞬間のことを「ルオーのこころとわたしのこころがぴしゃりときた。仙腰a尚の〈指月布袋画賛〉を最初に見た時と全く同じですよ」「キリストの顔が筆でぴゅーっと太い線でかいてある。あれは日本画ですねえ。日本画の線です」と語ったという(「
」内の言葉は本展覧会図録から引用)。
仙腰a尚の〈指月布袋画賛〉は出光佐三の最初のコレクションだった。
ルオーは宗教画家と呼ばれるが、キリスト教とはあまり縁のない日本でもかなり早くから好まれてきた。出光佐三ではないけれど、ルオーの「線」に日本人は親しみを感じたのかもしれない。
だから、大きな美術館に行くと必ずルオーがある。
それでつい「知っているつもり」になっていた---ということを今回の展覧会で気づかされた。ルオーの絵には「怒り」、「諦念」、「慈しみ」、「願い」がある。
チラシの文章が素晴らしいので、一部を紹介したい。
〈いま岩手県立美術館でルオーの展覧会を開催するのは、私たちが、かつて考えられなかったような、むごたらしく、不条理な犯罪が多発し、人々の心の荒廃が進み、また経済的な停滞と不公平感が助長されつつあ近年にあるからこそ、あらためて一人一人が願う幸せや社会の平和というかけがえのない願いに光を当てようと考えるからです。〉
ルオーの「線」を見にいったはずなのに、私は何か身につまされる思いにとらわれていた。絵は美しいだけのものじゃない。そんなわかりきったことを改めて教えられた。
11月6日(日)午後2時からは画家の野見山暁治氏による講演『ルオーと私』、11月19日(土)午後2時からは担当学芸員である安井裕雄氏による講座『ルオーの連作「ミセレーレ」と「受難」』がある(どちらも参加無料)。ぜひ、聴講したいと思っている。 |