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◆第130回 『白鳥の湖』に酔う(21.august.2006)

いわぎんスペシャル『白鳥の湖』
岩手県民会館大ホール 8月7日(月)18時30分開演

 盛岡の黒沢バレエ・スタジオ出身で、ベルギー・ロイヤルフランダース・バレエ団に所属する齊藤亜紀(オデット/オディール)とイギリス・ロイヤルバレエ団に所属する佐々木陽平(ジークフリード)主演という我々にとっては何とも嬉しい顔ぶれの公演だ。

 ぼくはバレエの門外漢だが、一抹の不安もあった。今回は主演のお二人をはじめ、他の出演者も新国立劇場バレエ団、黒沢バレエ・スタジオ、それにベルギー・ロイヤルフランダース・バレエ団という具合にさまざまな団体から精鋭が集合している。
 こういう場合、個々の演技のレベルの高さは堪能できても、ひとつの舞台(総合芸術)としては、まとまりに欠けることが珍しくないからだ。

 これはまったくの杞憂に終わった。それどころか、本公演は岩手県民会館の35年に及ぶ歴史に残る名舞台になった。

 このバレエの古典中の古典を知らない人はいないだろう。舞台ではなくとも、テレビの劇場中継やDVDなどでご覧になった方も少なくないと思う。音楽はチャイコフスキーの数ある作品のなかでも最も親しまれている名曲であり、ストーリーもシンプルでわかりやすい。世界中で最も好まれ、公演数も多いバレエといっても間違いではあるまい。
 それだけに演出にさまざまな工夫がこらされもするが、今回はストレートな、わかりやすい演出だった。
 改めて言うまでもなく、バレエは人間の体の動きと音楽だけですべてを表現しなければならない。言葉を使えないのだから、もどかしい。
 黒沢智子氏と遠藤展弘氏による演出は、百の言葉を費やすよりも遥かに饒舌だった。正直、「白鳥の湖」の物語に感動したのは今回が初めてだった。

 それは、もちろん齊藤亜紀さんの力によるところも大きい。とても柔らかな四肢をフルに活かした動きは、本物の白鳥よりも白鳥らしかった。
 佐々木陽平さんの純真な王子は、あまりの切なさに胸が苦しくなるほどだった。男のぼくでさえそうなのだから、客席にいた女性のほとんどは母性本能を大いに刺激されたことだろう。
 特筆すべきは、道化を演じた三木雄馬氏だ。高いジャンプとキュートな演技力で舞台を引き締めた。客席からの拍手も一段と大きかった。

 この日は客席も素晴らしかった。交響曲などと違い、バレエは「見せ場」ごとに拍手が起こる。その拍手が出演者にパワーを与える。
 そういう意味で、バレエは客席と舞台が一体になって、ひとつの芸術空間をつくりあげていく。それは、舞台と客席のあいだに設置されたオーケストラ・ピットにも当然及ぶ。
 第4幕で、県民会館大ホールの一体感は最高潮に達した。
 オーケストラ・ピットから朗々と響きわたるヴァイオリン・ソロ、そして有名な旋律を奏でるオーボエ・ソロは「鬼気せまる」と言いたいような名演だった。演奏は堤俊作指揮、ロイヤルメトロポリタン管弦楽団である。
 あの聴き慣れた(悪く言うと、手垢にまみれた)「白鳥の湖」が、これほど胸に迫る音楽だったとは! (天国のチャイコフスキーに、ぼくが間違っていたと心の中で平謝りに謝りました)

 素晴らしい音楽を得て、舞台上も燃えないわけにはいかない。あんな情感豊かに演じられた「白鳥の湖」もそうあるものではないだろう。
 シンと静まりかえった客席では、誰もが息をひそめて、哀しい恋の行方を見守っていた。
 ぼくは「この時間がずっとこのまま続いたら」と望まぬにはいられなかった。
 もちろん、上がった幕は必ず閉じられる。

 カーテンコールが延々と続いた。
 出演者や関係者のみならず、そこに集まった誰もが本公演を「成功させたい」と熱望していた。そして、みごとに成功した。
 その歴史的といっていい場に立ち会った幸福を噛みしめるかのように、客席の拍手はいつまでも熱く、鳴りやまなかった。

◆このごろの斎藤純

〇今夏も関東、関西からたくさんのオートバイ仲間がやってきた。岩手とその周辺を一緒に走り回り、岩手のおいしい食べ物に舌鼓を打つ。「こんなにいいところなのに、知られていないねえ」と岩手の宣伝下手を(毎度のことだが)指摘される。ぼくは「大観光地になんてならないほうがいいんですよ、静けさが保たれるし、道路も混雑しないですむもの。それに、岩手を気にいった人はここにいるみんなのように何度も来てくれる。そういうふうにわかってくださる人にだけ来ていただければいいんです」と応じておいた。

メンデルスゾーン:ストリング・シンフォニーを聴きながら