トップ > 目と耳のライディング > バックナンバーインデックス > 2007 > 第164回


◆第164回 クラシックの精髄を堪能する(10.december.2007)

アマデウス・アンサンブル・コンサート 『室内楽の夕べ』
2007年11月29日 岩手県民会館中ホール 午後7時開演

 室内楽は交響曲のような派手さがないせいか、ただでさえ敬遠されがちなクラシック音楽のなかでもさらに疎まれる傾向がある。けれども、いったん聴きだすと、これほど奥が深く、おもしろい音楽もない。そもそもオーケストラというのは室内楽の集合なのだ。 聴き応えのある室内楽のコンサートがあった。まず、曲目と演奏者をごらんください。


〈曲目〉
[1]ロッシーニ:二つのヴァイオリン、チェロ、コントラバスのためのソナタ第1番
[2]モーツァルト:弦楽四重奏曲第15番ニ短調 k.v.421
[3]ドヴォルザーク:弦楽五重奏曲ト長調 Op.77

[アンコール]
モーツァルト:アイネクライネ・ナハトムジーク第1楽章
小田和正作曲・長谷川恭一編曲:大丈夫(テレビドラマ『どんど晴れ』テーマ曲)
長谷川恭一:インドの虎狩り
モーツァルト:アイネクライネ・ナハトムジーク第3楽章

〈演奏:アマデウス・アンサンブル〉
ヴァイオリン:朝枝信彦(元マンハイム国立歌劇場管弦楽団コンサートマスター、兵庫芸術文化センター管弦楽団コンサートマスター)
ヴァイオリン:鈴木弘一(NHK交響楽団)
ヴィオラ:小畠茂隆(NHK交響楽団)
チェロ:桑田歩(NHK交響楽団)
コントラバス:稲川永示(NHK交響楽団)

 [1]はロッシーニが14歳のときの作品で、とても親しみやすい曲だ。
 モーツァルトは23曲もの弦楽四重奏曲を残していて、[2]はハイドンの弦楽四重奏曲にインスパイアされて作曲した〈ハイドン・セット〉全6曲のなかの一曲。モーツァルトはあらゆるジャンルに膨大な数の作品を書いたが、短調の曲が少ない。これはその珍しい短調の曲のひとつでもある。
 この曲で朝枝信彦さんらしさが前面に出てきた。朝枝さんらしさとは、古典的な音楽観と演奏法のことだ。
 朝枝さんはウィーンでワルター・バリリ(バリリ弦楽四重奏団を率い、その後の弦楽四重奏に大きな影響を与えた)と、リカルド・オドノポソフ(ウィーンフィルで1934年から1937年のあいだコンサートマスターをつとめる。1937年のイザイ・コンクールではダヴィド・オイストラフと最後の最後まで競った)に師事している。まさに正統的なウィーンの伝統を引き継いでいるわけだ。第一ヴァイオリンが終始リードし、ぐいぐい引っぱっていくスタイルは、こんにちなかなか聴けるものではない。

 そして、この日の聴きものは何といっても[3]である。めったに演奏されることのない曲だが、「知らない曲だったけど、すっかり引き込まれた」とか「身震いするほどよかった」などと多くの人が口々におっしゃっていた。密度の高い、エネルギー溢れる演奏だった。優れた演奏であれば、たとえ知られていない曲でも、人々の心を動かすものだ。

 アンコールには盛岡在住の長谷川恭一さんによる編曲ものとオリジナル曲が演奏された。こういう試みも嬉しい。ことに「インドの虎狩り」は、アマデウス・アンサンブルの高度な演奏技術ならではの迫力ある好演だった。

 ところで、室内楽はお客が入らないと言われている(ピアノ・ソロはスター・プレイヤーのネームバリューで集客力がある)。だから、ぼくが芸術アドバイザーをつとめている盛岡市文化振興事業団もこの分野のコンサートには消極的だ。
 けれども、「室内楽は人が入らない」というのは、お客さんに来ていただく努力を怠っているだけのことではないか、と思った。というのも、今回は盛岡市出身の鈴木弘一さんの同級生らによる実行委員会の主催で450人もの入場者があったからだ。ぼくもお手伝いしたので自画自賛めいてしまうが、これは画期的なことと言っていい。
 ビッグネームを呼んで客席をいっぱいにしたところで、それは主催者のお手柄などではない。本コンサートは主催者と演奏家の思いが伝わるコンサートだった。だからこそ、決して馴染み深いとは言い難いプログラムの室内楽でも多くの人に喜んで聴いていただけたのである。みならうべきところは大いにみならって然るべきだろう。

◆このごろの斎藤純

○盛岡文士劇が成功裏に終わった。「今回のが一番面白かった」と好評だが、それも藤田弓子さんの参加があったからこそだろう。やはり、本物は違う。彼女が立つだけで舞台が引き締まる。この体験は貴重だった。
○盛岡文士劇はNHK-BS2で2008年1月5日午前10時から放送される。ご笑覧いただければ幸いです。

マーラー:交響曲第2番「復活」を聴きながら