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◆第207回 日本美術と館長講座(7.September.2009)

 岩手県立美術館で『京都 細見美術館 琳派・若冲と雅の世界』展が開催されている(9月27日まで)。
 盛岡では日本画を観る機会が少ない。先人記念館や中央公民館に、南部藩のお抱え絵師だった川口月嶺があるけれど、その凡庸な絵からは得られるものが少ない(しかし、大急ぎで付け加えておくと、月嶺は角館で平福穂庵を見いだして育てた。これこそ月嶺最大の功績と言っていい。穂庵は言うまでもなく百穂の父)。
 だから、日本画の企画展があると飢えを満たすような気分で出かけていく。

 細見家三代の蒐集品から、美術工芸品を含む89点が展示されている。私は工芸品のことはよくわからないが、絵もひっくるめて趣味の一貫性が感じられた。美術館は網羅的に蒐集しなければならないが、個人コレクションはそういう制約がない。それだけに、その人の趣味が反映される。

 それは、本展の目玉である伊藤若冲にもあてはまる。細見コレクションの伊藤若冲は、オーソドックスな作風のものだ(それでも、もちろん極めて個性的ではあるのだけれど)。伊藤若冲は日本画の伝統から離れた、独特の造形を生んだ。そういう伊藤若冲を期待していくと、ちょっとあてが外れるだろう。コレクターの頑で確かな眼力に感じ入ると共に、若冲の底力を示す作品に出会えて私は嬉しかった。

 9月6日午後2時から、この4月に就任された原田光館長による館長講座の第一回目「高橋由一と東北」がひらかれた。
 明治維新後、南東北で県庁所在地の都市計画、東京と結ぶ道路整備、トンネル工事など大規模な「公共工事」が行なわれた。その陣頭指揮にあたったのが、三島通庸である。
 三島は土木県令あるいは鬼県令と呼ばれ、東北の民からは恨まれたが、東北の近代化を押し進めたのは事実。その三島の命を受けて、土木工事現場の絵画を制作したのが高橋由一だった。
 由一は単に三島の権力のお先棒を担いだわけではない。薩長政権の実力者だった三島に取り入ることで、美術館建設の夢を実現させたいと思っていたのだ(由一が計画した美術館は螺旋状の展示スペースを持っていた。マンハッタンのグッゲンハイム美術館を先取りしていたわけだ)。
 しかし、政権内での三島の権力が低下したことによって、由一の夢も頓挫する。もっとも、由一は小規模ながら施設美術館をつくったのだが。

 原田館長は「絵の構図」を子細に解説などしない。社会背景と芸術の分かちがたい関係を、作品を通して読み解く。だから、美術講座というよりも歴史講座あるいは明治の文化講座のようだった。
 次回、原田館長はいよいよ萬鉄五郎について語る(2009年11月3日午後2時から)。
 原田館長は萬から大きな影響を受けた方だ。そして、「みなさんがお考えになっている以上に、萬鉄五郎は我が国の芸術を強力に前進させた巨人」と評していらっしゃる。次の講座が今からとても楽しみだ。

◆このごろの斎藤純

○私が所属するホットクラブ・オブ盛岡四重奏団が、いしがきミュージックフェスに出演します。今週末、12日(土)午後5時10分から、カワトクデパート前で演奏します。

ナルシソ・イエペスの芸術IIを聴きながら