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◆第212回 ネオテニージャパン -日本新世代のトップアーテーストたち-(25.November.2009)

秋田県立近代美術館
2009年9月19日〜11月29日

 現代美術というと、やたらと深刻で難解なものというイメージが植えつけられている(これは私や私より上の世代のことかもしれないが)。
 そんな先入観を簡単にくつがえす企画展があった。
 日本屈指の現代美術のコレクターとして知られる精神科医・高橋龍太郎氏が収集した1,000点以上におよぶ豊富なコレクションより、奈良美智、村上隆など国際的に活躍する作家から若手まで33名の多彩な作家による絵画、立体、映像、インスタレーションなど約90点を紹介する『ネオテニージャパン』展である。
 キーワードとなっている「ネオテニー(neoteny)」とは、幼形成熟という意味だそうだ。早い話、子どもの外観のまま大人になった状態を指す。
 これを頭の片隅に置いて本展覧会を見ると、いっそう興味深いものになるだろう。

 私は現代美術のことは正直よくわからないし、敬遠しがちなのだが、この展覧会はわくわくしながら、面白く観ることができた。ことに巷間評判の高い奈良美智、村上隆にはこれまで心が動かされることがほとんどなかったのに、今回、初めてその勢いというか得体の知れないエネルギーのようなものを感じた。
 おそらく、これは高橋龍太郎という個人コレクターの審美眼に対する共感、あるいは共鳴というべきものなのだろう。
 こういうことが個人コレクションを観る楽しみでもある。

 今を生きる(文字通りの)現代美術は、一見明るく、躍動的で、保守的な目で見ると漫画やイラストレーションに近い。けれども、一見明るく見えながら、じっくりと観察すると複雑に歪んだものを内包していることが少なくない。

 私は鴻池朋子の作品に、ちょっとしたショックを受けた。何が私を引きつけたのか、私自身でもよくわからないのだが、作品の前からなかなか立ち去ることができなかった。作品の奥に、何か世代を超越した情念が流れているような気がした。
 また、日本画のパロディ(といっていいのだろうか)の山口晃にも圧倒された(大友克洋を連想したが)。
 これからも、この二人に注目していこうと思っている。

◆このごろの斎藤純

〇いよいよ、盛岡文士劇の本番が迫ってきた。今年は殺陣が多いので大変だ。

グレゴリア聖歌(レクイエム)を聴きながら