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◆第219回 「こつなぎ」を観る(8.March.2010)

 長編ドキュメンタリー映画『こつなぎ 山を巡る百年物語』(山形国際ドキュメンタリー映画祭2009 特別招待作品)の試写会に行ってきた。
 この映画は、小繋事件と呼ばれている入会権裁判に関わった農民たちを取材したもので、なんと撮影開始は50年前の1960年にさかのぼる(完成は2009年)。現場は、現在の二戸市一戸町字小繋。IGR岩手銀河鉄道で、盛岡から11駅(およそ50分)のところだ。ちなみに、2003年に富司純子主演で映画化された『待合室』と舞台となっているのが小繋駅だ。
 撮影にあたった菊地周(1923-2002)、篠崎五六(1922-2003)はすでに故人だ。眠っていた映像資料をもとに企画制作に取り組んだのは菊地周夫人の菊地文代さん、監督は中村一夫氏がつとめた。

  小繋事件を理解するためには、まず入会権について知っておく必要がある。山間地域で暮らす農民たちは、山から栗やキノコなどの食べ物や、燃料や建築材となる木を得て暮らしてきた。つまり、山を共有財産としてきた(漁民が海を共有財産としていることと同じだ)。
 ところが、山を私有するものが登場すると、山から採れるものもその所有者の「財産」となる。小繋事件は、山の所有者となった地主が、自分の山への農民の立ち入りを禁じたことに端を発する。
 山に入れなければ農民たちは暮らしていけない。これまで共有財産としてきた長大な歴史を無視した地主による所有権の主張に対して農民が立ち上がった。これが小繋事件だ。
 裁判そのものは大正6(1917)年の第1回提訴から昭和41(1973)年の第3回最高裁判決までおよそ50年に及び、親子三代にわたって争われた。

 結果的に、農民の「生きるための権利(入会権)」は認められず、有罪となった。だから、この映画は決して「農民讃歌」ではない。こんにちの疲弊した農村の実態も生々しく伝えているから、単なる「昔話」でもない。

 小繋事件は、地主対農民という対立関係だけでなく、「地主側についた農民」対「あくまでも地主に反対する農民」と発展し、差別など複雑な問題をはらんでいる。
 しかし、この映画は、「対立する農民」という図式では捉えていない。実際、お祭りや大切な農作業のときには、対立しているはずの人たちが一緒になって取り組んでいるのだから、そう簡単な図式で捉えることもできない。

 もう古い事件だ、と私などは思ってしまう。
 が、山村の時間の流れは違うのだという。事件は今も人々の心のうちに深く残っている。
 この裁判、現在だったら違った結果になっていたように思う。最高裁が有罪の判決を下した昭和41年は、環境意識も人権意識も今より低かった(公害訴訟の判決の推移を辿れば明らかだ)。こんにちの価値基準でみれば、小繋事件はまた別の意味を持ってくる。小繋事件は古くて新しい事件だということを、この映画は教えてくれる。

 なお、『こつなぎ 山を巡る百年の物語』は、これから県内各地での上映が計画されている。お近くの上映会に、ぜひ脚を運んでいただきたい。

◆このごろの斎藤純

○2月はフル稼働で、休日は一日しかなかった。3月はだいぶ楽になるはずだったのに、なぜかそうもいかないようだ。働けども働けども……という心境だ。

テスタメント/キース・ジャレットを聴きながら