『美しき挑発 レンピッカ展 本能に生きた伝説の画家』
2010年3月6日(土)−5月9日(日)
Bunkamuraザ・ミュージアム
岩手県立美術館で観たミュシャは「アール・ヌーヴォのアイコン(象徴)」と呼ばれているように、レンピッカは「アール・デコのアイコン(象徴)」と呼ばれる。つまり、その時代のひとつの文化を象徴する芸術家として知られている。
私がレンピッカを初めて知ったのは30年ほど前。デパートというよりも流行の発信地としてその名を馳せていたパルコの広告に作品が使われていた。改めて年譜を見直すと、それはレンピッカが亡くなった年だ。
パリでレンピッカを何枚か観たことがあるが、これだけまとまった数の作品を観るのは初めてだ。初めてパリで観たとき、雑誌やポスターなどの印刷物から受けていた平面的な印象が覆され、ずいぶん量感のある絵だと思った。それは本展でも改めて感じた。
レンピッカの私生活にもスポットを当てている点が興味深い。
本展のサブタイトルに「伝説の画家」とわざわざ謳われいるのはなぜだろうか、と考えた。レンピッカは「伝説」と断らなければならないほどマイナーな存在ではないが(むしろ、一世を風靡した大衆画家だった)、必ずしも「画家」として(たとえば、同時代のピカソのように)認知されているとは言い難いからだろうか。
いや、それ以上にタマラ自身が自らを伝説化していったことを明らかにしようという意図がこの展覧会にはある。それは、タマラがまるでグレタ・ガルボのようなメイクをして被写体となっているポートレート写真からも伺い知ることができる。タマラは自分の美しさを認識していて、それを「売りもの」にもした。タマラは、フランスに亡命して生活苦にあった時期に宝石を売って凌いだそうだが、売れるものは才能も美貌も惜しみなく売ったわけだ。
生活苦といえば、同世代のココ・シャネルも若いころに苦労をしている。レンピッカとシャネルは生き方や仕事ぶりに重なる部分もあれば、どう見ても溶け合わない部分も多々ある。しかし、火花を散らす関係ではなく、友人として付き合いがあったそうだ。ふたりがそろっているところを見てみたかった。
蛇足ながら、本展に絵を貸し出したコレクター(絵の持ち主)にハリウッドの俳優の名がいくつもあった。下世話な趣味だが、絵を観る楽しみは、こういうところにもある。
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