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◆ 第230回  洋画の父、黒田清輝(23.August.2010)

『近代日本洋画の巨匠 黒田清輝展』
岩手県立美術館 2010年7月17日−8月29日

 黒田清輝(1866−1924)は法律を学ぶためにフランスに留学したが、途中から絵画の勉強に専念する(法律から絵に転向と書いている本もあるが、もともと黒田は日本でも絵を習っていたから「転向」は当たらないような気がしないでもない)。黒田が師事したラファエル・コランは、アカデミー派の画家ながら、印象派の影響も受けていた。黒田はコランからその両方を吸収し、帰国後に東京美術学校(現在の東京芸術大学)の教授になる。

 東京美術学校は岡倉天心校長の方針で日本美術に力を入れており、洋画は教えていなかった。天心が(さまざまな策謀によって)東京美術学校を追われると西洋画科ができ、黒田が迎えられた。

 西洋画に詳しかった天心が東京美術学校に西洋画科を設けなかったのは、当時の「脱亜入欧」という語に象徴されるような無批判な西洋化への反動だったとする見方がこれまではされてきた。近年、天心は決して西洋画の導入に反対していたのではなく、その導入の仕方について慎重に考えていたという見方が有力になってきた。

 黒田が東京美術学校に迎えられたのは天心が去った後だが、その裏では天心の意向が働いていたようだ。天心は黒田の才能に、猿真似ではない日本人の洋画の可能性をちゃんと見いだしていたのだろう。事実、本展覧会でも圧倒的な存在感を示している『湖畔』、『智・感・情』を目にすれば納得できる。

 まず、『湖畔』は油絵とは思えないような柔らかさに満ちている。淡い色使いに加えて、そのタッチは水彩画のようでさえある。もちろん、描かれた対象が日本的であることも、この絵を文句のつけようのない「日本の洋画」の代表作とする決め手となっている。

 日本と西洋は「水と油」といわれ、物理的にはもちろんのこと、精神的にも決して混じらないと思われていた。洋画導入の難しさはそこにあった。が、『湖畔』は混じらないはずの「水と油」をみごとに融合させている。

 次に『智・感・情』を見る。三体の裸婦像の背景に金箔が使われている。これはフランス人の度肝を抜いたことだろう。もちろん、我々日本人にとっては、琳派が得意とする手法だから、馴染みが深い。これも西洋と日本をみごとに融合させている。いや、それどころか、本場である西洋の美術を凌駕する日本独自の洋画が誕生したと言ってもいいくらいだと思う。

  この『智・感・情』というタイトルについて、高階絵里加による研究と考察が『異界の海』という本にまとまっている。それによると、この絵が描かれる一年以上前の天心のノートに、『智・感・情』というメモが残されているというのだ。
 どうやら黒田と天心には、後世の我々が知る以上の交流があったらしい。

 本展覧会では焼失した『昔語り』のための習作も展示されている。
 『昔語り』についてはアカデミックな画法を教えるために、黒田は習作を残す描き方をした。教育者としての黒田の一面を伝える資料だ。習作ながら見応えもある。

 また、二階常設展では東京美術学校で学んだ五味清吉の特集展示がおこなわれている。五味はやはり岩手が生んだ近代美術の巨匠萬鉄五郎とほぼ同年齢ながら、萬のように前衛には進まず、穏やかな画風に終始した。
 そんな五味は盛岡の人々に深く愛され、大切にされたという。展示されている作品を見ると、それがよく伝わってくる。いい展示だ。

◆このごろの斎藤純

○7月半ばに高熱でダウンした後、喉の痛みに悩まされましたが、それが治ったと思ったら顔面麻痺に見舞われました。結局、今年の夏は「闘病生活」を余技なくされました。残暑厳しきおり、みなさまもどうぞお体に留意してお過ごしください。                 

ヴィニシウス・カントゥアリアを聴きながら