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◆ 第245回 このたびの大震災の被災者のみなさまに心からお見舞い申し上げます。(22.March.2011)

 盛岡は震度6近い地震だったにもかかわらず、かろうじて大きな被害はありませんでした。地震直後は停電、断水、電話ならびにインターネットが通じない状況でしたが、徐々に復旧しました。
 停電中の情報源はラジオでした(私は日常的にラジオを聴く習慣があるので、手元にラジオがあります)。自らも被災者のひとりであるにもかかわらず、不眠不休の体制で報道にあたられた関係者のみなさんに、この場をお借りして敬意と感謝を述べてさせていただきます。
 電気が復旧した後、テレビのニュースを見て言葉を失いました。想像を遥かに超えた光景でした。沿岸には音楽を通して知り合った仲間たちがたくさんいます。
 その後、ひとり、またひとりと無事であるとの報せが入るたびに、私は涙を流して喜びました。実際に会えるのはまだとうぶん先のことになりそうですが、そのときは力の限り手を握りしめたいと思っています。

 震災によって、いくつものコンサートが中止になりました。
 3月13日、盛岡市民文化ホール大ホールで予定されていた小山実雅恵&小林研一郎/東京都交響楽団のコンサートもそのひとつです。東京都交響楽団の首席チェロ奏者田中雅弘さんから、「函館に足止めされています」と携帯にメールがあったのは、12日の昼前でした。
 ふるさと思いの小山さんのこと、日を改めてきっと盛岡に来てくださることでしょう。その日を迎えることができるように、私たちは明日に向かって歩みつづけましょう。

 ニュースで被災地のようすを見るたびに、私たちに何かできることはないだろうか、と焦りに似た気持ちに襲われます。
 阪神淡路大震災を経験した方たちにメールなどでその気持ちを伝えると、「何もやらない勇気を持つことも必要だ」といわれました。
 「今はまだあなたたちの出番ではない。プロにまかせておきなさい。被災地から求められたら、そのときこそ、それに応えてください」
 何人かの方から異口同音に、そういわれました。
 さらに、「現地に行くことだけが支援ではない」とも。
 「無事だった地域の人々が一日も早く前と同じ日常を取り戻すことが、間接的に被災地を支援することになるんですよ」
 目からウロコが落ちるような言葉でした。

 13日には、もう盛岡では「自分たちにできること」を実践している光景を目にすることができました。
 冷麺発祥の店で知られる焼肉店がいち早く通常通りの営業をはじめたのです。ほかの店もそれにつづきました。大通りから「復興の狼煙」が上がった日でした。
 
 15日、盛岡の中心街にある大型商業施設クロステラスの一階に、ジャズピアノの音が響きわたりました。
 被災地である八戸出身のピアニスト馬場葉子さんが、『星に願いを』やオリジナル曲を午前と午後2回にわたって30分ずつ演奏されたのです。
 不足がちな食料品を買い求めにいらしていた方たちが、レジに並びながら、その音に耳を傾けている姿が印象に残っています。

 盛岡が元の日常を取り戻していくことが被災者の励みになるし、経済的な支援をすることになる……阪神淡路大震災の経験者からの教えを、日々、改めて噛みしめています。