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◆ 第262回 2011年を振り返る (5.December.2011)

 2011年が終わろうとしている。
 東日本大震災によって、東北の太平洋岸の人々は過酷な状況を強いられた。沿岸の人々とは比べ物にならないが、私たち内陸の人々も平常ではいられなかった。
 内陸が平常でありつづけることが、沿岸復興の一助になる。それはわかっていても、なかなかそうはいかなかった。たとえば、音楽家が音楽を聴くことも楽器を演奏することもできなくなった。物書きは執筆が進まなくなった。ついでに、私のような酒飲みは酒を飲むことを躊躇し、後ろめたさを覚えた。
 だが、このたびの震災は音楽や文芸など芸術文化に関わる人々に、大きな教えを与えてくれた。未曽有の天災の前で我々は無力だと思っていた人々に、「こういうときだからこそ必要なのだ」と教えてくれた。
 そういう思いも込めて2011年を振り返ってみたい。

 私にとって最もショックだったのは、岩手県立美術館が平成23年度のすべての企画展を中止したことだった。企画展の予算を災害復興支援にまわすためという名目だった。
 そのことの是非は問わない。いろいろな考え方があっていいと思う。問題はそのプロセスだ。
 この決定を岩手県は県立美術館に何の相談もなく下している。現在、岩手県立美術館は岩手県文化振興事業団が指定管理している。指定管理は下請けではない。美術館運営の独立性が著しく侵されたわけで、残念でならない。このことは、つまり「しょせん文化施設などは」という無理解をあらわしている。

 けれども、結果的に岩手県立美術館にとっては、プラスになったと私は思っている。企画展中止を余儀なくされた後の岩手県立美術館の動きが素晴らしかったからだ。
 今回のことで、岩手県立美術館は改めて「岩手の美術館があるべき姿」を自ら考え、実践した。この経験は今後の美術館活動の大きな糧となるに違いない。
 そして、2009年に原田光館長をお迎えしていたことがどれだけ功を奏したことか。これはいずれ多くの方たちによって、明らかになっていくことと思う。

 震災と芸術文化については第247回でも書いたが、その後、「こういうときにこそ、さまざまな面で本質があらわになる」ことがはっきりしていった。風評にまどわされて中止となった来日公演や美術展などは数知れない。
 一方で予定に入っていなかった地域で公演を行なったアーティストもいる。公演中止のニュースの落胆が大きかった分、それらがもたらす喜びは一段と大きく、とても励まされた。

 私自身のことを記しておきたい。
 私は大地震直後から東日本大震災被災地支援チームSAVE IWATE副代表として支援活動に微力ながら関わるようになった。さらに、七月からは、盛岡市が設置してSAVE IWATEが事業委託を受けた盛岡復興支援センターのセンター長という仕事が加わった。それまでも、本業に加えて『街もりおか』編集長と岩手町立石神の丘美術館芸術監督と三輪駆動で走ってきた(息も絶え絶えではあったが)。
 あまりのハードスケジュールとストレスによって体調を崩したせいもあり、多少まわりに迷惑をかけても休暇をとるように心がけた。
 そんな中で、盛岡文士劇に2 年ぶりに出演させていただいた(去年はベートーヴェンの交響曲第九番のコンサートに出演するため、文士劇出演を辞退させてもらった)ことは私自身のトップニュースとして挙げておきたい。

 もともと私は舞台にまったく向いていないので文士劇出演には消極的だった(そのため、座長の高橋克彦さんからいつも小言をちょうだいしていた)。今年は音楽がメインの舞台だったこともあり、出演を楽しみにしていた。10月から始まった稽古に行くようになって、ある変化を私は感じた。稽古に行くことが楽しくてしようがないのだ。
 正確にいうと、文士劇の仲間たちに会えることが嬉しかった。忙しい日々がつづいていたが、今日も文士劇の仲間たちに会えると思うとそれが励みになった。文士劇の仲間というのは出演者だけではない。スタッフたち(当然、出演者よりも多い)と一緒にひとつの舞台をつくっていくことが楽しかった。
 これも震災の影響なのかもしれない。

◆このごろの斎藤純

盛岡文士劇のために後回しにしていた仕事を破竹の勢いで(笑)こなしている。この山を越えれば、お正月はゆっくり休める(はずだ)。

メンデルスゾーン:交響曲第3番スコットランドを聴きながら