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◆ 第265回  芸術と生活 (6.February.2012)

 宮城県美術館が開館30周年を記念して開催している『クレーとカンディンスキーの時代』展に行ってきた(3月4日まで)。宇都宮美術館との共同開催で、両美術館が所蔵するクレーとカンディンスキーの全作品と同時代の作家らの作品、さらに、二人が教鞭をとったバウハウスの作品も展示されていて見応えがあった。

 クレーとカンディンスキーは、20世紀初頭に新しい絵画を追求し、モンドリアンなどとともに抽象画の創始者と呼ばれている。
この時代の芸術活動は、現代のそれとはずいぶん違う。
カンディンスキーが出版した『青騎士』という芸術論集には、12音技法で知られる作曲家のシェーンベルクが深く関わっている。シェーンベルクも抽象画のような絵をたくさん残している。クレーとカンディンスキーからは離れるが、ストラヴィンスキーのバレエ『プルチネッラ』の舞台美術はピカソが担当した。
という具合に、さまざまなジャンルの芸術家たちが「新しいもの」をつくるためにくっついたり、離れたりしていた。
話はそれるが、この「よき芸術的伝統」は少なくとも1960年代までは残っていた。ジャズと映画、ジャズと文学、ジャズと絵画というように。

 カンディンスキーは、ストラヴィンスキーがロシアを強く感じさせるのと同じくらいロシア的な画家だと思う。うまくいえないが、あのアヴァンギャルドな感じはやっぱりロシア的だと思う。ロシアというのは極端なところがあって、がちがちにスクエアなところがあるかと思うと、はちゃめちゃなところもある。それが大陸的というものなのだろうか。日本にこういう極端さはない。

 クレーはどこかメルヘンチックなところがあるせいか、日本での人気が高い。厳しい時代を生きたのに、それをあまり感じさせないのは、逆に強靱なものを秘めていたからに違いない。そうでなければ、こうも長く愛されることにはならなかっただろう。作品というものは、ただ甘いだけでは、時間とともに力が尽きていく。私たちが「穏やか」とか「優しい」と感じているものの多くが実はその裏側に強いものを秘めている場合が少なくないようだ。
クレーはまた音楽を感じさせる作家でもある。実際、クレーはクラシック音楽好きで、自らヴァイオリンを弾いた。
色彩の使い方がユニークなので、「色彩の画家」と呼ばれることも多い。ところが、クレーはまた「線の画家」でもあるから油断ならない。

 クレーとカンディンスキーは、建築・デザイン・美術の学校であるバウハウスで教鞭をとる。ここにも芸術の融合が見られる。
残念ながらバウハウスはナチス台頭の影響で短命に終わるものの、その成果はとてつもなく大きい。
本展で展示されているバウハウスの椅子などの家具やケトル(やかん)などは、現代でも十分に通用する。通用するどころか、現代でも新しさを感じさせる。
しかし、それとは相反するようだけれど、どこか懐かしさを感じさせる。もしかすると、1950年代まではバウハウス的なものがまだ現役だったのかもしれない。私の記憶のどこかにそれが刷り込まれていて、懐かしく思うのだろうか。
ともかく、クレーとカンディンスキーという特異な芸術家が参加していたバウハウスも興味深い。
バウハウスによって、芸術は一握りの人のためのものではなく、人々の日々の生活に溶け込んでいった。なんとも羨ましい限りだ。

◆このごろの斎藤純

○季刊「環」(藤原書店)の2012年冬号が出ました。東日本大震災特集で、陸前高田にスポットがあてられています。ぜひ手に取ってごらんください。私も寄稿しています。

熱風/オールマン・ブラザーズ・バンドを聴きながら