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◆ 第279回  地域に根ざした現代美術の祭典(10.SEP.2012)

 新潟県十日町市で開催(10月17日まで)されている越後妻有アートトリエンナーレ大地の芸術祭に行ってきた。
 トリエンナーレは3年に1度開かれるという意味(ちなみに、ビエンナ−レは2年に1度という意味)だ。3年前に石神の丘美術館の学芸員から「ぜひ行ってみるべきです」と言われていた。今年を逃すとまた3年先になるので、意を決して行ってきた。
 盛岡からは移動に時間がかかるので、実質的に観てまわったのは9月3日の午後から5日の午前中までで、鑑賞できたのは全作品の3分の1程度だろう。なにしろ広範囲にわたっている。こんなに大規模なものとは想像していなかった。
 いずれも見応えのある作品ばかりだったが、越後妻有だからこそ成立するものと、必ずしもそうではないものがあり、やはり前者に私は肩入れしてしまう。
 前者の代表的な一例として、上鰕池名画館を挙げておこう。農家の主婦が台所で一升瓶を掲げている写真が目を引いた。どこかで見たことがあるポーズと構成だ。この写真からフェルメールの『ミルクを注ぐ女』を連想するのは、そう難しくない。決して再現しているわけではないのに、だ。
 同様にレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があり、モネの『日傘をさす女』がある。いずれも地元の人の日常風景を切り取った写真でありながら、名画を連想させる。
 「やられた」という思いと「羨ましい」という思いが交錯する中、ときに大笑いし、ときに微苦笑しつつ、この名画館を味わった。名画と重ねて描かれた農村の日常の美しさにも打たれた。
 会場となっている古民家も、この地域独特の建物で私にはとても美しく感じられた。周囲の民家も同じような建物だから、地域の統一感がある。これは十日町市の各地域に共通していて、景観保護が行き届いているのを感じた。
 景観保護に関連していえば、棚田の保護にも力を入れているのがわかる。なにしろ、どんな狭いところにも水田がある。これには驚いた。
 そんな棚田風景を眺めるのも、越後妻有トリエンナーレが持つ大きな魅力なのだろう。3年後にまた私は行くつもりだ。
◆このごろの斎藤純
〇仙台で毎年開催されている定禅寺ジャズストリートに、私がギターで参加しているホットクラブオブ盛岡が初出演することになった。翌日はツール・ド・三陸にボランティアスタッフとして参加するため陸前高田に向かう。というわけで、越後妻有から帰ってきた後も盛岡を留守にしがちだ。
ジョー・ボナマッサを聴きながら