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◆第31回 夏の思い出(26.august.2002)

キャラバン・コンサート2002
8月6日岩手県立博物館 8月7日青山養護学校

 8月初旬、小澤征爾とムスティラフ・ロストロポーヴィチが若い音楽家を引き連れて岩手を訪れた。彼らの目的は、若手の音楽家の育成と、生の音楽に触れる機会のない人たちにもクラシック音楽を気軽に楽しんでもらうという2点である。つまり、オーディションを通過した日本と中国の若手音楽家(多くは音大生)からなるオーケストラと二人の巨匠が、岩手県内の各地でホームステイをしながら(文字通り寝食を共にしつつ)、県内(一部秋田県)の学校やお寺などでコンサートをひらいてまわったのである。
 このうちの岩手県立博物館で行なわれた一般向けのコンサートと、盛岡市内の青山養護学校で行なわれたコンサートに行った。
 県立博物館でのコンサートは、当初、屋外の芝生でピクニック・コンサートとして予定されていたが、雨のためロビーに会場を移した。演奏をする側にとっても、聴く側にとっても条件のいい会場とは言えない。しかも、公には事前告知をいっさいしなかったにも関わらず、ざっと見たところ1,000人を超える聴衆が集まって、鮨詰状態となった(入れずに帰った方も多かった)。言いたくはないが、小澤氏見たさに集まった野次馬がほとんどで、「本番前に練習をさせてください」という「お願い」も無視されて、いつまでもざわついている始末。ロストロポーヴィチ氏の指導を小澤氏が日本語に訳するのだが、場内がうるさいため楽団員に注意がよく伝わらない。繊細なピアニッシモの練習だっただけに、何だかとても申し訳ないような気がした。
 いざ本番というときになっても場内のざわつきは収まらず、小澤氏が曲を始めることができない。たまりかねたお客さんの一人が「静かに」と大きな声で制してくれたおかげで、ようやく始めることができた。僕はアマチュアのコンサートやホール以外でのロビー・コンサートをいくつか見てきたが、こういうことは初めてだ。
「県立博物館はいったいどういう人たちに声をかけて集めたのだろうか」
 いささか疑問に思わずにいられなかった。もっとも、このキャラバン・コンサートは「クラシックに触れる機会のない人のため」のものでもあるので、その目的は大いに達成されたようだ。
 曲はサン・サーンスの〈チェロ協奏曲第1番〉とチャイコフスキーの〈ロココ風の主題による変奏曲〉で、ロストロポーヴィチ氏のチェロを充分に堪能することができた。アンコールにロストロポーヴィチ氏は「今日は原爆が投下された悲惨な記念日、平和の祈りを込めて」とバッハの無伴奏チェロ組曲のなかの一曲を演奏した。これは祈りの曲なので「演奏後の拍手は遠慮していただきたい」というのは2年前に東京で行なったチャリティコンサートのときと同じだ。
 奇跡は(僕は奇跡など信じないのだが、あえてそう言う)アンコールが終わったときに起こった。演奏を始めることができないほど騒がしかった会場が、しんと静まりかえり、ただすすり泣きの音だけが聞こえるばかりになったのだ。
 音楽の力を改めて思い知らされるできごととして、強く印象に残った。
 その夜、楽団員やホームステイ先のみなさんたちと一緒に夕食会があった。若い音楽家の卵たちに、音楽を熱心に説くロストロポーヴィチ氏の姿を見た。聞くところによると、連日、この特別講義が行なわれたという。楽団員たちは数日のあいだに、一生分のことを学んだに違いない。

 翌日の青山養護学校でのコンサートは、学校の関係者と生徒、そのご家族、隣接する国立療養所盛岡病院の看護師らが招かれた。前日の県立博物館の騒然ぶりとはうってかわって、実に粛々としたものだ。そのため本番前の練習も熱が入ったものになった。昨日はうまくいかなかったピアニッシモが繰り返され、傍で聞いていても、どんどんよくなっていくのがわかる。
 県立博物館と同じ曲が演奏された。何度も練習を重ねたピアニッシモのところで、屋外の小鳥のさえずりが聞こえてきた。繊細な管弦楽のハーモニーに野鳥の声が絡み合い、何か別の世界を旅しているような気分になった。演奏前には落ち着きのなかった生徒もジッと聞き入っていた。
 終演後、生徒がお礼の挨拶をした。一人はロシア語で歓迎の言葉を述べ、ロストロポーヴィチ氏を大喜びさせた。また、一人は「キーボードを学校で弾いています。音楽をやっていると、苦しいことも忘れることができます。音楽のおかげでここまでやってこれたと思います。次学期から普通の中学校に戻って勉強することになりました」といった内容のスピーチをした。実はこのスピーチで僕は胸が熱くなり、後はもうただただ涙が出てくるばかりという状態になってしまった。45歳ともなると、やはり涙腺がゆるくなる。
 それはともかく、生徒らが「お礼に」と『千と千尋の神隠し』の挿入歌〈いつも何度でも〉を盛岡の弦楽合奏団バディヌリの伴奏で歌うと、楽団員も泣きだした。僕も一緒に歌うようにと歌詞カードを渡されていたが、歌えなかった。
 次に「みなさんも一緒にどうぞ」と楽団員に楽譜を渡す。弦楽器だけの楽譜だったので、管楽器奏者は歌うことに(後で聞いた話だと「あんなに大きな声で歌ったのは生まれて初めてだ」とのこと)。このとき、小澤氏は青山養護学校の先生に指揮をまかせ(その先生は小澤氏の前で指揮をしたわけで、こういう方もめったにいまい)、ご自分は客席で一緒に歌った(そのとき、近隣の方から老眼鏡をお借りになっていた)。
 小澤氏、ロストロポーヴィチ氏、楽団のみんなが退場していくとき、ロストロポーヴィチ氏は生徒の一人一人を抱きしめ、キスをした。その姿に小澤氏が目頭を押さえていた。

 このロストロポーヴィチ氏の発案によるコンサート・キャラバンはこれまで岐阜などで行なわれ、今回が5回目ということだが、残念ながらこれが最後となった(ロストロポーヴィチ氏の年齢的な問題や、小澤氏のスケジュールの関係とのこと)。貴重な最後の機会に岩手を選んでくださったことに感謝したい。また、コンサート・キャラバンを支えた地元の音楽家、ホームステイ先のご家庭など関係者一同にも心から、ご苦労さまでした。そして、ありがとうございました。いくらお金を積んでも得られないものを今年の夏はいただきました。

◆このごろの斎藤純

〇附属中学校卒業30周年の同窓会があった。なにしろ30年振りだから、一見、「どこのどちらさんでしたっけ」という人も少なくなかったが、言葉を交わせば30年の時間をいっきに飛び越えて昔の仲間に戻ってしまう。不思議なものだ。あの頃と変わっていない人もいるが、僕などはその代表みたいなもので、「記憶にある斎藤純のまんまだ」と笑われた。僕の場合、頭のなかも変わってないから問題だな。
〇8月は小説誌の連載の最終回が2本あり、さらに連載の第1回も重なってヘビーな日々を送っている。最終回と第1回というのは最も神経を使う回で、それが重なったものだから、身も心もぼろぼろである。小説家になど、なるものではない、とつくづく思う。
〇健康診断を受けた。身も心もぼろぼろの状況だったので、いくつか異常が認められるに違いないと諦めていたが、結果は「異常なし」とのこと。恥ずかしいような気がしないでもないが、健康であることが何より。

サイモン&ガーファンクル/「明日に架ける橋」を聴きながら