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◆第32回 川上涼花のフュウザン(9.september.2002)

○「川上涼花という画家がいた」 2002年7月22日〜9月16日
萬鉄五郎記念美術館(岩手県東和町)

  川上涼花という画家の名を、この展覧会の案内で初めて知った。萬鉄五郎と共に大正元年にフュウザン会を結成した仲間だという。とすると、萬の年譜などで名前は目にしていたかもしれないけれども、作品を見ない限り、画家の名前だけを憶えることはまずない。なにしろ、1936(昭和11)年以来の展覧会というから、ま、知っている人のほうが少ないに違いない。
 売れっ子作家でもないのに仕事が異常に立て込んでいるなか、無理をして時間をつくり、BMW・R1150ロードスターを飛ばして東和町まで行ったのは、この美術館が他の地方美術館と組んで開催してきたこれまでの企画展の質の高さを知っているからだ。萬鉄五郎記念美術館がスポットを当てるくらいの画家なのだから、一般にはほとんど知られていない画家とはいえ、見ておきたかった。
 展覧会は彼の画業を20数点の作品で紹介している他、フュウザン会の仲間だった岸田劉生、木村荘八、中村彜、そして萬鉄五郎らの作品が展示されていて、とても見応えがあった。
 肝心の川上涼花については、セザンヌ風水彩画や、ゴッホ風のタブローもさることながら、日本画の才能を発揮した『草花図屏風』と晩年の木炭画(フランス語でフュウザン)が印象深い。
 晩年と書いたが、川上涼花は34歳で亡くなっている。志半ばだったことだろう。けれども、何か淡々とした諦念のようなものが、木炭による風景画からは感じられた。ある意味で老成した画風と言ってもいいのではないか。
 ゴッホ風の激しい絵を描いた画家が、これほど早く老成したのは、いったいどうしてだろうか。自分の寿命を知っていて、それが木炭画に反映されのだろうか。いや、僕はどうもロマン(物語)的にとらえる癖がある。もっとクールに鑑賞するべきかもしれない。
 会場で発売されていた図録には1936年の遺作展の画集が再録されている。それを見ると、斎藤与里や大森商二らが追悼文を寄せている。昔の画家は皆いい文章を書いたものだと改めて思う。
 いい展覧会だった。
 川上涼花という、埋もれた画家を教えてくれた萬鉄五郎記念美術館に感謝したい。涼花は作品が発見される可能性がまだある。今後も研究がつづけられることだろう。

 さて、22日から岩手県立美術館でニルス・ウド展が始まる。水や花など自然を素材とした独自のアートで知られる方だ。初日の午後2時半から館内のホールで、ニルス・ウド氏と対談をします。「人間と自然をアートを通して結びつける」というウド氏の考えに、小説でそれをやろうとしている僕は共感をおぼえます。そんなお話をしてみたいと思っていますので、どうぞ足をお運びください(入館料は一般800円です)。

◆このごろの斎藤純

〇とんでもないハードスケジュールだった8月が終わった。どうにか原稿を書き上げることはできたものの、何だか火事場の馬鹿力でしのいだような気がしないでもない。ま、ともかく一段落ついたので、不義理をした分を挽回をしないと(つまり、あちこちの飲み会に顔を出すという意味ですね)。しかし、こんな調子では次の小説の準備ができないではないか。
〇勉強部屋(仕事部屋ともいいますが)の窓をあけていると、隣の幼稚園から遊戯の声や歌、休み時間の嬌声が聞こえてくる。小説が行き詰まって心がガサつき、苦しい思いをしているときも、園児らの元気な声が聞こえてくると気持ちが和む。夜になると八幡宮のお祭の太鼓の練習が聞こえてくる。ふつう、哀感は祭の後についてくるものだが、どこからともなく聞こえてくる祭の練習の音も盛岡の街に哀愁を与えていて、僕は好きだ。それにしても、さんさ踊りの練習の音が聞こえていたのが、ついこのあいだだったような気がする。時間の経つのが何と早いことか。夜風が涼しい。

オータム/ジョージ・ウィンストンを聴きながら