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◆第43回 空間を楽しむ(10.february.2003)

斎藤義重展
岩手県立美術館 2003年1月25日-3月23日

 足が止まり、溜息が洩れた。そこに立っているだけで、何か得体の知れない大きな喜びに包まれていく。
 岩手県立美術館で開催中の「斎藤義重展」でのことだ。
 この感覚は前にも経験している。初めてオルセー美術館を訪れたときやメトロポリタン美術館のセザンヌの部屋(実際はそういう名前の展示室ではないけど)に立ったときもこの感覚に襲われた。初めてエマーソン弦楽四重奏団の演奏を聴いたときも(あれは浜離宮ホールだったかな)。
 音楽や美術に身を浸していると、こういうことがあるものだ。でも、めったにあるものではない。
 いや、この感覚が得られるのは、何もコンサートホールや美術館だけに限ったことではない。真昼岳のブナの森に初めて足を踏み入れたときにも同じ経験をした。
 だから、僕は「絵は絵」「音楽は音楽」「自然は自然」と区別した考え方や見方ができない。みんな繋がっていると思う。これがいかにも素人臭い捉え方だとしても、そういう受け止め方しかできない人間なのだから、もう仕方がない(ひらきなおるわけではないが)。
 
 さて、現代美術の「巨人」と呼ばれている斎藤義重の作品をまとめて観るのは初めてだった。というよりも、長生きをした作家(1904年というから明治37年に生まれて、2001年に97歳で亡くなられている)だということ以外、あまりよくは知らない。かえってそれがよかったのかもしれない。予備知識がない分だけ、新鮮だった。
 斎藤義重には平面(まったくの平面ではないが)の作品と立体の作品がある。僕の足を長く止めさせたのは、長い板を組み合わせた立体の作品だ。かなり大きな作品だ。これは展示する場所をかなり限定するだろう。
 そう思いながら観ているうちに、作品そのものと共に展示会場にも感銘を受けていることに気がついた。岩手県立美術館の広大な展示スペースだからこそ、斎藤義重の作品は力をみなぎらせ、奔放に光を発しているのではないか。
 岩手県立美術館における斎藤義重展を観て、「ここはまるで斎藤義重美術館だ」という印象を持った。作品と美術館の幸福な出会いと言っていい。

◆このごろの斎藤純

〇イタリア最北端の州ヴァッレ・ダオスタの招きで、視察に行ってきた。北イタリアは南イタリア(ナポリですね)に比べて貧しいとよくいわれている(貧しいといわれつづけてきた北イタリアからスローフード運動は起こっているのだが)。今、土地の人々はこれまで負の遺産とされてきた類のものを「特産品」として再認識し、またその風土についても誇りをもって紹介につとめはじめた。旅を終える頃には、僕の古里と重ねて考えていた。

アオスタ市内の小さなCD店で買ったロベルト・ムロロを聴きながら