エルミタージュ美術館(ロシア・サンクトペテルブルク)はルーヴル美術館と肩を並べる規模を持つ。そのエルミタージュ美術館の膨大なコレクションから、16〜19世紀に描かれた女性の肖像画55展を集めたユニークな展覧会だ。ティツィアーノ、コレッジオ、クラナハ、ヴァン・ダイク、ゴヤなど18世紀以前の巨匠(オールドマスターという)の作品が並んでいて、何だか目眩がしそうになった。
私はクラシック音楽が好きなので、バルブ機構のないシンプルなトランペットが描かれた〈歴史の寓意〉(リベーラ作)や7コース(復弦14弦)のリュートが描かれた〈音楽家の肖像〉(ホントホルスト作)に「時代考証」的な興味を持った。あの当時の画家はあまり省略をしないで、ありのままに描いてくれたので、これが後世の音楽学に役立っている。
ファッションに興味のある方や、デザインを学んでいる方たちには衣装や、身につけている宝飾類から目が離せないだろう。現代にも通用する「美」を見つけるのは難しいことではない。
歴史に登場する女性たちに出会えるのもこの展覧会の大きな魅力のひとつと言ってかもしれない((私は歴史音痴なんですけどね)。
ハプスブルク家のマリア・テレジア(神聖ローマ帝国の女帝、マリー・アントワネットの母)は、大変な貫祿と威厳を示している。これを描いたマイテンス(子)はその存在感をみごとにとらえている。
ジェラール作の有名な〈ジョゼフィーヌの肖像〉(ナポレオンの妻)からは「彼女はたいへんな魅力を生まれながらに授かっていた。ラ・パジュリ嬢(後にナポレオンからジョゼフィーヌという新しい名を与えられる=斎藤純注)はとりたてて美人というわけでもなく、また可憐というわけでもなかったが、人の目を惹く魅力を具えていた。表情には抗いがたい魅力があった。まなざしには艶があり、なんともいえない色香が漂っていた。それは、男心をくすぐり、とろかし、官能の疼きを呼び醒ますあのまなざしだった。体つきはニンフのそれだ。身のこなし、物腰、声の調子、そしてだまっているときにまでみられる、あのクレオル特有の、ざっくぱらんな溌剌としたしなやかさが、彼女の全身から感じとれた」(ジャック・ジャンサン著・瀧川好庸訳『ナポレオンとジョゼフィーヌ』中公文庫)と描写されている女性そのものを目にすることができる。
そして、圧巻は〈エカテリーナ2世の肖像〉(エリシェン作)だ。「冬の宮殿」とも呼ばれていたエルミタージュ離宮に、ベルリンで購入した絵画を中心としたコレクションを運びこみ、展示したのがエカテリーナ2世だった。彼女こそ「エルミタージュ美術館」の創始者といっていいだろう。
無能な皇帝(夫なわけですが)に対してクーデターを起こし、女帝の座を得て君臨したエカテリーナ2世が、自信に満ちた表情で白馬にまたがっている。この絵の前に立つと、何だか別世界につれていかれるようだ。
18世紀以前の絵画は宗教画が多いため、鑑賞の際にキリトス教の素養が不可欠(必要ないという人もいますが)なのに対して、この展覧会は肖像画が相手なので私でも気軽に楽しめた。
目立たない作品だが私は〈エレノア・ベトゥーン夫人の肖像〉(レイバーン作)が気にいった。後のラファエル前派の画家たちが好みそうな顔つきの女性像だ。筆に勢いがあり、髪と着衣は背景と混じり、とけている。この画法は100年先を行っている。
ところで、エルミタージュ美術館にはこの展覧会に見られるような「華やかさ」だけではなく、別の顔もある。
たとえば、旧ソ連は第2次大戦後に敗戦国ナチスドイツから大量の美術品を没収した。敗戦国ドイツから没収した美術品については国際法上の正当性を旧ソ連は主張した。
厄介なのは没収した美術品の中に、ナチスドイツがユダヤ人から略奪したものが含まれていたことだ。
戦後しばらく経ってから旧ソ連に対し、ナチスドイツによる略奪美術品の返還を求める動きが高まった。それには印象派の名作が多数含まれていた(ヒトラーが印象派を理解しなかったため、印象派絵画はヒトラーのコレクションにならなかった)
エルミタージュ美術館に略奪美術品を隠匿しているのではないか、という疑いをエルミタージュ美術館は否定しつづけた。
ところが、それはエミルタージュ美術館からの内部告発で覆され、やがて大規模な「印象派」展を開催することになる。
ナチスドイツによる略奪美術品問題はまだ未解決の部分が少なくない。
エミルタージュ美術館(ばかりではないのだが)は今も「闇の部分」を抱えている(はずだ)。
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