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目と耳のライディングバックナンバー

◆第302回 岩手生まれのオーケストラ(26.Aug.2013)

 いわてフィルハーモニー・オーケストラの第2回定期公演が、8月11日(日)に岩手県民会館大ホールで開かれた。2月23日の第1回定期公演に行くことができなかったのは、このオーケストラを応援している私としてはひじょうに残念だった。その分の期待も込めてコンサートを聴いた。
 とてもいいコンサートだった。このコンサートは深い感銘を与えてくれた。プロのオーケストラから受けるものとは異なる、何か大きなものを受けとったようにも思った。
 前半はヴェルディの歌劇『アイーダ』から、この後に続く音楽の密度の濃さを予感させるような「凱旋行進曲」で始まった。寺崎巌さんのめりはりのある指揮ぶりがいい。
 次にブラームスのピアノ協奏曲第1番のための準備があり(オーケストラのメンバーが多少入れ代わり、指揮者のそばにピアノが運ばれた)、やがてソリストの佐藤彦大さんが登場し、彼に従うように登場した寺崎さんと握手を交わす。
 この作品はブラームスが25歳のときのもので、初演時の評判は芳しくなかった。現代の私たちの耳で聴いてもそのことは想像がつく。まず、協奏曲というよりも、ピアノの入った交響曲とでもいいたくなるような重厚さと曲の長さを持っている。第1楽章では肝心のピアノが出てくるまで5分くらい待たされる。しかも、全体的に地味だ(これは重厚さと紙一重なのだが)。ところが、ピアニストにしてみるとこれがけっこう難しい(ブラームスはピアノ巧者だった)。ということは、つまり私たち聴く側にとっても難しい曲だといえる。
 そんな難曲を、この日はものすごい集中力で演奏しきった。第1楽章の後で拍手が起きたが、それはマナー違反ではなく(通常、楽章間では拍手を控える)、確かに拍手をしないではいられない演奏だったからだ。
 私は佐藤彦大さんとの最初のリハーサルを聴く機会に恵まれたが、そのときとはまったく別のオーケストラのような堂々たるブラームスになっていた。リハーサルのときよりも格段に進歩しているということは、それだけポテンシャルを持っているということだ。
 今回はウィーン・フィルのメンバー(ヴァイオリンのダニエル・フロシャウアー、チェロのヤン・リシュカ)に指導を受けているし、客演の水間博明さん(ファゴット奏者/ケルン放送交響楽団)は指揮者でもあり、以前から寺崎さんを指導していらっしゃる。これらがみごとに実った成果だった。
 佐藤彦大さんは客席からの熱いアンコールに応えて、ドヴュッシーの「亜麻色の髪の乙女」を、こってりしたメインディッシュの後のデザートのような感じで演奏した。
 ちなみに、佐藤彦大さんはリハーサルであっても、まるで本番のような弾き方をする。その姿勢にも私は打たれた。
 休息をはさんで、いよいよブラームスの交響曲第2番だ。ベートーヴェンに呪縛されているような第1番と異なり、のどかさと喜びに溢れている作品だ。どこか牧歌的な雰囲気を持つところから、ブラームスの「田園」交響曲と呼ばれたりもする。
 この曲でいわてフィルは本領を発揮した。実は寺崎さんの指揮にちょっと物足りなさを感じる箇所もあった。そのとき、オーケストラが自発的にそれを補った。これは、私の錯覚だったのかもしれない。でも、これがこのオーケストラの特徴であり、長所だとも思った。
 本当に惜しみない拍手が鳴りやまない中、グリーグの弦楽合奏曲『二つの悲しき旋律』から「過ぎた春」、ヘンデルの『王宮の花火の音楽』から序曲がアンコールに演奏され、いわてフィル第2回定期公演は成功裏に終わった。
 いわてフィルは東日本大震災を機に誕生したオーケストラだ。震災に私たちは多くを奪われたが、このように素晴らしいものも得た。胸を張りたい。
〈このごろの斎藤純〉
〇8月第1週の週末に、所属するサイクリングクラブの仲間たちと八幡平アスピーテラインを越えてきた。2009年の初挑戦以来、4年ぶりにようやく再挑戦が実現した(10年は顔面神経麻痺、11年は復興支援、12年は頸椎椎間板ヘルニアのため参加できなかった)。
 筋力はさほどアップしていないが(衰えていないだけましとしよう)、心肺機能は4年前と比べてかなり向上しているのを感じた。やはり、自転車は体にいい。
『バーンスタインの指揮する同時代の音楽』を聴きながら

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