HOME > 目と耳のライディング > バックナンバー2013
目と耳のライディングバックナンバー

◆第308回  今年は日本画を観る機会に恵まれた (18.Nov.2013)

 今年は日本画を観る機会に恵まれた。伊藤若冲を「東日本大震災復興支援『若冲が来てくれました』プライスコレクション 江戸絵画の人生命」展(岩手県立美術館)と、「ファインバーグ・コレクション展 江戸絵画の奇跡」(江戸東京博物館)という二つの大きな展覧会で観られたのを皮切りに、「竹内栖鳳展 -近代日本画の巨匠-」(東京国立近代美術館)と「横山大観展 -良き師、良き友」(横浜美術館)で東西の両巨匠の作品を観ることができた。
 日本画鑑賞の当たり年だったと振り返っていたところに、埼玉県立歴史と民俗の博物館で、私の好きな橋本雅邦にスポットを当てた「狩野派と橋本雅邦-そして、近代日本画へ」展を開催中という情報を得て、東京へ出かけたついでに足を伸ばしてみた。
 雅邦は江戸時代を代表する御用絵師集団である狩野派の名門に生まれ、若いころから才能を開花し、頭角をあらわした。徳川幕府が存続していれば、狩野派の大家として君臨し、その名を残すことになっていただろう。
 しかし、時代は明治維新を迎える。和魂洋才という掛け声のもと、伝統ある日本文化はことごとく否定され、西洋文化の猿真似が進められる。美術の世界でも西洋画が積極的に導入される一方、日本画は追いやられていく(その当時はまだ日本画・西洋画という概念はなかったが、ここでは便宜上、使用する)。多くの御用絵師が生活の困窮に陥り、まったく異なる道へ進んでいった。
 豊かな才能に恵まれた雅邦も例外ではなかった。本展ではその窮状を伝える資料も見ることができる。
 詳細は省くが、行き過ぎた日本文化の否定への反動が起きる。その中心人物であるフェノロサと岡倉天心の登場によって、雅邦にも転機が訪れる。徳川幕府時代のように重用され、脚光を浴びるようになっていった。ここには政治の流れもあるが、雅邦の突出した才能を時代が放ってはおかなかったのだともいえる。
 東京美術学校が設置されると、雅邦は後進の育成にも中心となって力を入れ、下村観山、横山大観、菱田春草、川合玉堂らを指導する。いずれも後の時代を担う錚々たる面々だ。雅邦は決して伝統のみに従う画家ではなかった。進取の気骨に富んでいた雅邦だからこそ、優れた弟子を輩出することができた。本展では弟子たちの作品も見ることができる。また、雅邦と埼玉のつながりも紹介されていて、これはまったく知らないことだった。
 歴史に翻弄される中で、一時代を築いた雅邦の業績を本展ではたっぷりと見せてくれた。ついでに記しておくと、これだけ充実した内容で入館料が300円では申し訳ないと思った。他館(美術館もある)とのバランスは、大丈夫なのだろうか。
〈このごろの斎藤純〉
〇過密スケジュールに加え、体調を崩したりして文士劇の稽古にあまり参加できず、遅れをとっている。いよいよ本番が不安になってきた。
タヴナー:奇跡のベールを聴きながら

ブログ:流れる雲を友に