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目と耳のライディングバックナンバー

◆第309回  三つのレクイエムを聴く (2.Dec.2013)

 今月(11月)は三つのレクイエムの演奏会に足を運んだ。
 まず、4日に盛岡市民ホール大ホール(何度も書くけれど、この芸術的センスのかけらもない名称はどうにかならないものだろうか。真剣に考えてもらいたい)でバッハ・カンタータ・フェラインによる「ドイツ・レクイエム」を聴いた。ブラームスの名声を不動のものにした大作だ。本来はフル・オーケストラとの演奏だが、この日の演奏はピアノ2台の伴奏によるロンドン版(ロンドンでヴィクトリア女王の前で演奏されたことから、このように呼ばれているらしい)だった。この曲ができた当時からピアノ伴奏版による演奏が人気だったという。確かにハープが2台必要なフルオーケストラを揃えるのは並大抵のことではない。
 レクイエムは教会で演奏されることを目的に作曲されるが、この作品は教会音楽ではなく、コンサートホール用での演奏を前提としていた。ブラームスはこの曲について、「私は、喜んでこの曲のタイトルから『ドイツ』の名を取り去り、『人間の』と置き換えたいと公言してもいい」と述べている。
 バッハ・カンタータ・フェラインの演奏はこのブラームスの言葉と一体をなしていたと思う。「ドイツ・レクイエム」の交響曲のようなオーケストレーションが好きな私にとっては、ちょっと物足りなさも感じたものの、バッハ・カンタータ・フェラインの真の底力を見せつけられた演奏でもあった。
 次にヴェルディの「レクイエム」を、6日、サントリーホールで聴いた。東日本大震災追悼公演と銘打ったコンサートだった。
 指揮はニコラ・ルイゾッティ、管弦楽は東京都フィルハーモニー管弦楽団、合唱は藤原歌劇団合唱部、ソプラノはアイノア・アルテータ(マリア・アグレスタから変更)、メゾ・ソプラノはマーガレット・メッザカッパ 、テノールはフランチェスコ・デムーロ、バスはフェルッチョ・フルラネット。
 この曲が発表された当時、「これはレクイエムとはいえない」という批判が少なからずあったそうだ。レクイエムにしてはあまりにドラマチック(オペラ的)であり、また、華麗すぎるという理由からだ。
 確かにそのとおりで、教会で演奏される宗教音楽としてはちょっと派手すぎるのだ。けれども、それがこのレクイエムの最大の特長であり、魅力でもある。ヴェルディもまたブラームスと同じようにこれを教会用としてではなく、コンサートホール用の作品と考えていたようだ。
 この日の演奏では、イタリア・オペラ的な要素を多く持ったレクイエムの魅力を存分に味わわせてくれた。とくにメゾ・ソプラノのメッザカッパの声質が私好みだった。
 演奏後の拍手もなかなか鳴りやまず、私たち聴衆の心のこもった拍手に何度も何度もステージに登場しては深々と礼をしてくれた。あれだけ長い拍手も珍しい。それだけいい演奏だったということだろう。
 今年はヴェルディの生誕200年にあたる記念年なので、この曲の演奏会も多かったようだ。
 さて、とどめはブリテンの「戦争レクイエム」だ。これも名曲中の名曲だ。そして、ヴェルディとは対極にあるような作品だ。ヴェルディが黄金とダイヤモンドの装飾品としたら、ブリテンのは燻銀と真珠の装飾品といったところか。
 ただ、ブリテンのこの曲も編成が大きく、優秀なソリスト(独唱)も必要なため、なかなか演奏される機会がない。いや、編成もさることながら、この曲自体も難しい。ブリテン生誕100年にあたる今年、藝大フィルハーモニアが第360回定期公演(16日、東京藝術大学奏楽堂)で挑戦してくれた。
 共演は合唱が東京藝術大学音楽学部声楽家学生(合唱指揮は阿部純)、児童合唱が東京少年少女合唱隊(合唱指揮は長谷川久恵)、ソプラノが徳山奈奈(東京藝大大学院音楽研究科修士過程声楽オペラ専攻1年)、テノールが佐藤直幸(東京藝大大学院音楽研究科修士過程声楽独唱専攻1年)、バリトンが堺裕馬(東京藝大大学院音楽研究科修士過程声楽独唱専攻1年)、指揮は尾高忠明。さらに、12名からなる室内オーケストラが加わる。
 少し説明を加えると、この曲はラテン語のレクイエムの歌詞を合唱(一部、児童合唱)とソプラノがオーケストラの演奏で歌い、オウェンの「戦争詩」の英語の歌詞をテノールとバリトンが室内オーケストラの演奏で歌う。
 室内オーケストラはステージ向かって右側に別に設けられていたが、ホルンなどの一部のパートはオーケストラの楽員が受け持った。この室内オーケストラに指揮者がつく場合もあるそうだが、今回は尾高忠明氏が室内オーケストラも指揮した。
 藝大オーケストラを聴くのは初めてだった(ラジオやCDなどで聴いたこともない)。こんなにうまいのか、と驚いた。たぶん、地方のプロ・オーケストラよりもしっかりしている(あたりまえだ、という声が聞こえてきそうですが)。
 まだ大学院で勉強中のソリストも堂々たるもので、正直、期待以上だった。ことにテノールの佐藤直幸さんは私好みの声質で、いつまでも聴いていたかった。また、私はあまり響かせるバリトンが苦手なのだが、堺裕馬さんは洗練された趣味を感じさせて心地よかった。
 しかし、なんといってもこの日の主役はソプラノの徳山奈奈さんだった。あの難しいパートを、豊かな声量と恵まれた声質でみごとに歌いきった。
 このソリストたちはオーディションによって選ばれたというか、藝大声楽科にはこのレベルの人たちがひしめいているということになるのだろうか。改めて大変な世界だと痛感させられた。
 演奏後、尾高忠明氏が「実は心配だったが、よくやったと思う」と褒め称えた。会場にいた誰もが同感だったに違いない。
 ちなみに尾高忠明氏はイギリス音楽のオーソリティで、大英帝国勲章(CBE)を受章なさっている。
 ブリテンは第二次世界大戦時に「良心的兵役拒否」し、暴力(戦争も立派な暴力であることを忘れてはならない)に反対だという立場を貫いた。「戦争レクイエム」にはそんなブリテンの信念が込められている。
 奇しくもこの作品が初演(ブリテン自身が指揮をつとめた)された1962年は、ヴェトナム戦争、キューバ危機など冷戦が最も熱くなった時期でもある(ベルリンの壁がつくられたのは前年の1961年)。
 クラシック音楽は「趣味のいい娯楽」でもなければ「高尚な趣味」でもない。
 今、日本はアジア諸国との軋轢を強めているし、まるで戦前に戻るかのような悪法もつくられた。この時期に「戦争リクイエム」が演奏されたことの意味は大きい。
〈このごろの斎藤純〉
〇この原稿を書いている時点では、まだ盛岡文士劇は終わっていない。体調の不良も重なって、予定していた稽古にあまり参加できなかったこともあり、私は不安を抱えて本番に挑むことになる。何とか無事に終わることを祈っている。
マーラー:交響曲第9番を聴きながら

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