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目と耳のライディングバックナンバー

◆第311回  洲之内徹コレクションを観る (14.Jan.2014)

 仙台市内で開かれた東日本大震災復興支援関連のシンポジウムに出席したついでに、宮城県美術館の『洲之内徹と現代画廊 昭和を生きた目と精神』展(2013年11月2日~12月23日)に寄ってきた。
 宮城県美術館に私は特別な思い入れがある。理由は簡単で、洲之内徹コレクションがあるからだ(もちろん、高橋由一など明治美術のコレクションも私にとってはありがたい)。
 洲之内徹は(1913-1987)は、『肉体の門』などの作品で知られる作家田村泰次郎が経営に失敗した「現代画廊」を1961(昭和36)年に引き継いで画廊主となったが、三度も芥川賞候補になる作家でもあった。洲之内は現代画廊で扱った作品や興味を持った画家と作品のことなどを『芸術新潮』の連載エッセイ「気まぐれ美術館」に1974年から亡くなる1987年まで書きつづけた。
 これが大好評で同誌の看板連載となる。私もこの連載で洲之内徹を知った。けれども、日本の美術に興味を持っていなかったから、名前を知ったという程度でしかなかった。私にとって洲之内が大切な人になるのは90年代半ばになってからだ。日本の美術に目が向くようになった私は、単行本や文庫本になっていた『気まぐれ美術館』シリーズを熱心に読んだ。この読書体験によって、日本の現代美術の世界はもちろんのこと、何よりも絵の見方を教わったと思っている。
 洲之内徹の没後、現代画廊に残された146点の絵画・彫刻が一括して宮城県美術館に収蔵された。洲之内と宮城県に特別な関係があったわけではなく、巡り合わせでそうなったようだ。
 洲之内徹は画廊主としては変わり者で、気に入った作品は売ろうとせず、手元に残しておいた。つまり、コレクターでもあった。とはいえ、売れずに残った作品もたくさんあったわけで、それらを一括して収蔵することに踏み切った宮城県美術館に改めて大きな拍手を送りたい。
 この行幸のおかげで『気まぐれ美術館』に書かれている作品を実際に観ることができるようになった。宮城県美術館には洲之内コレクションの常設コーナーがあり、20点ほどが展示替えをしつつ公開されている。また、5年に一度くらいのペースで洲之内コレクション展も開催されてきた。
 本企画展はそのバージョンアップ版で、『気まぐれ美術館』で紹介された作品など洲之内徹と現代画廊が関わった作品約190点が展示された。
 絵を観ながら、私はその絵が描かれた時代のことを少し考えながら歩いた。この企画展のサブタイトル「昭和を生きた目と精神」の意味が、展示会場を歩いていると何となくわかってきた。しばしば「歌は世につれ、世は歌につれ」という。だが、実際には「世が歌につれ」ることはない。これは絵にも言える。絵もまた時代の申し子なのである。
 宮城県美術館の力の入れようが伝わってくる展示を観ていると、熱心に読んだとはいえ記憶が薄れてきた『気まぐれ美術館』シリーズの文章がときおり蘇ってきて、豊かな時間を過ごすことができた。
〈このごろの斎藤純〉
〇盛岡文士劇後、寝起きのたびに目眩を感じるようになり、脳の異常を疑ったが、良性発作性頭位目眩症という診断だった。幸い正月明けには治った。
〇珍しく高橋克彦座長も体調を崩されたから、今回の文士劇がいかにハードだったかがわかろうというものだ。
ブリテン:カーリュー・リヴァーを聴きながら

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