HOME > 目と耳のライディング > バックナンバー2015
目と耳のライディングバックナンバー

◆第336回 ベルリンフィル・コンサートマスターによるフランス室内楽の夕べ (26.Jan.2015)

 2009年、樫本大進がベルリンフィルのコンサートマスターに内定したというニュースには本当に驚かされた(2010年に就任)。華々しい受賞歴(1990年、第4回バッハ・ジュニア音楽コンクール第1位。1991年、リピンスキ・ヴィエニヤフスキ国際コンクール・ジュニア部門第3位。1993年、ユーディ・メニューイン国際コンクール・ジュニア部門第1位。1994年、第3回ケルン国際ヴァイオリン・コンクール第1位。1995年、アリオン賞。1996年、フリッツ・クライスラー国際コンクール第1位。1996年、ロン=ティボー国際コンクールで史上最年少で第1位。1996年、フォーバルスカラシップ・ストラディヴァリウス・コンクール優勝。1997年、モービル音楽賞奨励賞受賞。1998年、芸術選奨新人賞音楽部門受賞)を誇り、充実したソロ活動を行なっていたのに「どうして?」という疑問を抱いたものだ。
 樫本自身、オーケストラに入ることに当初は戸惑いとも躊躇ともつかぬ気持ちがあったようだが、ベルリンフィルのコンサートマスターだったガイ・ブラウンシュタインの強い勧めがあって、オーディションを受け、みごとに合格した。コンサートマスターに就任したということは、伝統あるベルリンフィルから求められたということになる。
 現在、ベルリンフィルはサイモン・ラトルを芸術監督に迎え、カラヤン時代に勝るとも劣らない黄金期を迎えている。今後、ベルリンフィルを辞めて(あるいは退団後)ソロ活動を再開するうえでも、この経験は大いに役に立つに違いない。樫本は1979年生まれだから、まだまだ先が長い。先のことも見据えての決断だったのかもしれない。
 ドイツで音楽を学び、ドイツの名門オーケストラで活躍している樫本によるフランス室内楽のプログラム。共演は、室内楽の演奏で定評のあるフランスのピアニスト、エリック・ル・サージュだ。
【第1部】
フォーレ:ヴァイオリン・ソナタ 第1番 イ長調 作品13
プーランク:ヴァイオリン・ソナタ 作品119
【第2部】
フォーレ:ロマンス 変ロ長調 作品28
フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調
【アンコール】
フォーレ:初見視奏曲
マスネ:タイスの瞑想曲
 1曲目ではヴァイオリン(1674年製アンドレア・グァルネリ)があまり鳴らず、エリック・ル・サージュも抑え気味に弾いていた。おや、と思ったが、しだいによく鳴りはじめた。ヴァイオリンは生き物だから、ホールの環境に適合するまで時間を要するのだろう。
 ル・サージュのタッチが素晴らしくて、さすがフランス・ピアノ界のトップだと納得。樫本もドイツものを演奏するときとは打って変わって、柔らかく、エレガントだった。
 クラシックは楽譜があり、その楽譜通りに演奏する。しかし、それでも即興性がある。ことに室内楽の場合はそれが顕著だ。樫本&ル・サージュの演奏からはその即興性が色濃く感じられた。二人で音楽をつくりあげている現場に立ち会っているという空気が濃密で心地よかった。
 この日(1月22日、盛岡市民文化ホール大ホール)が二人の日本公演の最終日だったそうだから、総仕上げの演奏を聴くことができたわけだ。
 気になったのは、空席が目立ったこと。関係者からも「東京公演に比べて料金もかなり安く設定されていたのに、どうしてだろうか」という声が聞かれた。
 不況のせいだと私は思っている。不況はまず文化を浸食する。アベノミクスが地方都市にまであまねく広がることを強く願う。
〈このごろの斎藤純〉
○凍結していた路面を歩いていて転んでしまい、手首、胸、腰を強く打った。幸い骨に異常はなかったが、痛みが2週間たっても取れない。スキーでは転ばないのに、なんとも情けない話だ。
○手首の痛みを我慢して、1月21日のモリゲキ・ライブにブルーズ・バンドで出演した。共演した仲間たちは40年前からの付き合いだ。楽しい一夜だった。
カーリー・サイモン:グレーテストヒットを聴きながら

ブログ:〈続〉流れる雲を友に