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目と耳のライディングバックナンバー

◆第354回 そして、誰もいなくなった~『松田松雄展』を観る (26.Oct.2015)

 岩手県立美術館で開催中(11月29日まで)の『松田松雄展』を観た。昭和12(1937)年、気仙町(現陸前高田市)に生まれた松田松雄は、30歳のとき、福島県の平市(現いわき市)にあった勤め先を画家になるために辞めた。ちなみに、松田は美術の専門教育を受けていない。唯一、若松光一郎(新制作協会会員)に四ヶ月ほど師事しただけだったが、画家として独立すると福島の美術界の牽引者となる。
 気さくでオープンな人柄で、多くの人に好かれ、慕われたという。郷里の陸前高田にもしばしば帰省していたらしい。
 松田の画風は大きく三回変わる。はじめのころは、マント姿のシルエットの人物が、簡略化された風景の中に背を丸めるようにたたずんでいる。マグリットの影響が認められる作品があった。十分に魅力的なシリーズだが、松田にとっては模索の途中だった。やがて、色が消えて、モノクロになる。
 次の作風は、複数の人物がモノクロで描かれる。人物もシルエットから少し具象的になる。赤子を抱く母親を思わせる人物がくりかえし見られる。このシリーズが1970年代半ばから1980年初頭まで続く。私はこのシリーズの作品を数年前に観て、松田松雄のファンになった。1980年代半ばは人物がより写実性を増す(といっても、いわゆる人物画とは異なる)。
 松田の作品のテーマはごく限られていた。松田は人間を描きつづけた。もっと言うと、自分の内面にしか興味がなかった。その探求が作風に変化を促した。
 1980年代初頭から半ばにかけて、抽象と具象の中間のような静物画のシリーズがある。強いて似ている作風を挙げることもないのだが、同じ岩手県出身の千葉勝の影響が感じられる作品があった。
でも、この時期の作品は時代に逆行しているような印象を受ける。古臭いというのではなく、懐かしさを覚える。
 1980年代半ばから風景という抽象画のシリーズが描かれる。そのシリーズは1993年、病に倒れたことで中断され、その後、新しい作品は描かれないまま2001年、62歳の誕生日を迎える前日に亡くなる。
 画面から色が消え、人物が消えて誰もいなくなり、最後に画家自身がこの世から消えた。
 けれども、作品は残る。松田は「世界に通用するもの」、「普遍性」を追及した。この展覧会は松田のその思いを検証する意味も持つ。
 作風の変遷にかかわらず、松田松雄は東北の画家だと思う。それはまず描かれた人物から伝わってくる。松田の描く人物は寡黙で、たくましく、どこか弱さを漂わせている。東北の人間そのものではないか。
 人物が消えた晩年の風景シリーズは冬景色はもちろんのこと、モノクロなのに東北の短い夏を想わせる作品もある。
 こんなことを言っても意味がないのは承知しているが、もう10年生きていてくれればお目にかかり、お話をうかがうことができただろう。いや、私がもう10年早く松田松雄の作品と出会っていれば、お話をうかがうことができたかもしれない。ただただ悔やまれる。私はその悔やまれる思いを胸に、この充実した内容の展覧会場を歩いた。
〈このごろの斎藤純〉
〇今年で16年目を迎える中津川べりフォークジャンボリーに、私がリーダーをつとめるザ・ジャドウズが、もりげきライヴ(これがデビューコンサートでもある)に引き続いて出演し、今年の活動を終えた。二つのライヴ出演をふりかえって、我ながらいいバンドだと自負している。
ザ・ベリーベスト・オブ・バディ・ホリー&ザ・クリケッツを聴きながら