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目と耳のライディングバックナンバー

◆第365回 特別公開『国宝土偶 縄文の女神』展(東京国立博物館) (11.Apr.2016)

 特別公開『国宝土偶 縄文の女神』展(東京国立博物館、3月23日~2016年4月17日)へ行ってきた。“縄文の女神”とは、1992(平成4)年に山形県舟形町西ノ前遺跡から発掘された日本最大の縄文土偶(縄文中期)のことだ。高さ45センチという大きさもさることながら、その造形美からこの名で呼ばれるようになった。
 写真では見たことがあったが、実物を見るのは初めてだ。パンタロン(裾の広いスラックス)を履いたショートカットの女性が天を仰いでいるようなポーズですっくと立っている。とてもモダンで、まるで現代美術のようだ。
 縄文土器は日本全国から出土しているが、土偶は東日本でしか発見されていない。有名な遮光器土偶(縄文晩期)は東北全域で見られるので、共通する文化があったことがわかる。一方、“縄文の女神”の造形は今のところ西ノ前遺跡だけでしか見つかっていない。同様に、火焔型土器(縄文中期)は信濃川中流域で発展したことか知られている。地域ごとの独自の文化があったことをうかがわせる。
 ところで、縄文土器は美術館で展示されることも珍しくない。縄文土器を博物館で展示される「発掘品」から、美術館に展示される「美術品」としての価値を見出した(再発見した、と言ってもいい)のは岡本太郎だ。岡本は縄文土器に、日本人の美意識のルーツがあると主張し、それが広く受け入れられて行った。つまり、社会(歴史)の教科書の領域だった縄文土器が、岡本太郎によって、美術の教科書にも載るようになった。
 だから、というわけでもないが、私が芸術監督を仰せつかっている岩手町立石神の丘美術館でも毎年、年度末の時期に岩手町で発掘された縄文土器などを展示する企画展を開催している。その影響を受けてか、近年、私は再び縄文土器に関心を深めている。「再び」というのは、20年ほど前に『夜の森番たち』という長編小説を書き下ろす際に狩猟文化についてかなり調べ、そのとき縄文にも足を踏み入れているからだ。
 いや、さかのぼれば学生時代に岡本太郎の著書を読み、縄文を再発見している。ここで「再発見」としたのは、私は子どものころに縄文土器の破片を集めては大発見をしたつもりになっていたからだ。
 縄文土器は改めて説明するまでもないと思うが、表面に縄紋様が施されていることからそう呼ばれている。この土器が使われていた時代を縄文時代と呼ぶ。それは、約1万5,000年前(紀元前131世紀頃)から約2,300年前(紀元前4世紀頃)という長大な時期を指し、世界史的には新石器時代にくくられる。
 縄文土器は煮炊きに使われる実用品だった。実用品を飾りたてる文化を、私たちの祖先は持っていたのだ。土器の表面に縄紋様を付けたのは、滑り止めという目的があったからだ。しかし、「実用の美」では片づけられない「美」を縄文土器はたくさん持っている。岡本太郎はそこを評価したわけだ。“縄文の女神”を岡本太郎が見たら、きっと狂喜乱舞したに違いない。
 それにしても、“縄文の女神”の美しさは傑出している。「これをつくったのは本当に日本人なのだろうか」という疑問さえ持ってしまう。もちろん、間違いなく、私たちの祖先がつくったのである。数千年に及ぶ縄文時代の中で、「抽象化」という概念が築かれていったのだと私は思っているが、学者からは一笑されるだろう。
 これから、機会を見ては縄文土器について(ひいては縄文時代について)触れていくことになると思う。この連載を始めるにあたって、「東北のモダニズム」が隠しテーマだと表明しているが、結局のところ縄文に行き着いたということでもある。
〈このごろの斎藤純〉
○東京国立博物館のある上野公園では、桜がもう散りはじめていた。この時期、東京と岩手は一カ月くらい季節感が違う。岩手はこれからが百花繚乱の華やかな時期となる。
ヤナーチェク:弦楽のための組曲を聴きながら