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目と耳のライディングバックナンバー

◆第386回 盛岡文士劇、東京へ行く その2(27.Feb.2017)


 盛岡文士劇にこれまで何度も出ていただいている井沢元彦さんは、「地方と中央というけれど、今、文士劇と呼べるものは盛岡文士劇しかない。だから、文士劇に関しては盛岡が中央なのである」と常々おっしゃっている。この言葉は、文化は東京が発信するものと思いこみがちな風潮に一石を投じた。
 また、ロバート・キャンベルさんは今回の東京公演について「東京にドサ回りに行く」とおっしゃった。その意味するところは、井沢さんの言葉と重なる。
 これらの後押しがあり、私は「東京公演といっても別に恐れることはない」と思うようになった。大成功に終わった盛岡公演も、東京のお客さんにも充分に楽しんでもらえるという自信につながった。演出家の長掛憲司さんが「東京でお客さんの度肝を抜いてやろう」と宣言するに至り、私ばかりでなく出演者のほとんどが(不安がないとはいえないものの)東京公演を楽しみにしていたのではないだろうか。
 盛岡文士劇の最大の特徴は入念な稽古にあるといっていい。これは高橋克彦座長によって築きあげられたもので、「舞台で作家や文化人が戯れている」という昔の文士劇(なにしろ楽屋でアルコールを召し上がっている出演者が少なくなかったという)とは一線を画している。
 譬えていうなら、1964年から2010年までフジテレビ系列で放送されていた「新春かくし芸大会」を思いだしていただければわかりやすいかもしれない。同番組では歌手が本業以外のことに挑戦し、玄人はだしの「芸」で視聴者を驚かせた。出演者の誰もが真剣に取り組んでいるのが印象的だった。蛇足ながら、堺正章はいつも圧倒的な「かくし芸」を披露し、絶賛されたものだ。
 盛岡文士劇画が盛岡市民に長く、熱心に支持されてきた理由は「新春かくし芸大会」のように、出演者が真剣に取り組んできたからだと私は思っている。
 ふだんは活字でしかお目にかかれない作家や、毎日テレビで見ている(あるいは、ラジオで聞いている)アナウンサーの姿を生で見られるということも確かに文士劇の魅力だ。でも、それは文士劇の一面でしかない。それだけなら、こんなに長続きできなかっただろう。娯楽が少なかった時代と違い、今は観客の好みが比べ物にならないほどうるさい。満足してもらうためには、それなりに中身が充実していなければならないのだ。
 それを実現するには、稽古に打ち込むしかない。
 私は12月3日に初日を迎えた盛岡公演の稽古には全25回中14回参加している(これに総仕上げのゲネプロが加わる)。さらに、1月中には東京公演に向けて全7回中5回の稽古に参加した(これに総仕上げのゲネプロが加わる)。特筆しておきたいのは、源義経役の米澤かおりさん(岩手めんこいテレビ・アナウンサー)と伊勢三郎役の澤口たまみさん(作家)が、ほぼすべての稽古に参加なさったことだ。あの迫真の演技はそうした努力の積み重ねがあってこそのものだ。
 今回、米澤さんは間違いなく主演女優賞クラス、澤口さんは助演女優賞クラスといっていいだろう(お二人とも男役でしたが)。そして、もう一人の主役といっていいのが、義経の敵役である梶原景時を演じた北上秋彦さん(作家)だろう。間違いなく主演男優賞クラスの演技だった。しかも、北上さんは悪役を楽しんでいて、余裕さえも感じられた。
 一方、徳子(秀衡の妻)役の内館牧子さん、蕨姫役の阿部沙織さん、平時忠(蕨姫の父親)役の谷藤裕明盛岡市長、九条兼実役の菅原和彦さん、丹後局役の久美沙織さん、後白河法皇役のロバート・キャンベルさん、北条時政役の金田一秀穂さんらは役柄をご自身のキャラクターに引き寄せて、実にユニークだった。中でも盛岡弁で演じた内館さん、まさに怪演以外のなにものでもないキャンベルさん、惚けた味わいの金田一さんは客席を大いに湧かせたばかりでなく、我々出演者も本番中に笑いを堪えるのに苦労させられた。
 源頼朝役の平野啓一郎さんと北条政子役の柚月裕子さんはともに初出演。「実際の私は争いごとを好まない男」と舞台挨拶でおっしゃっていた平野さんは、憎まれ役を堂々と演じきった。柚月さんは声、佇まい、顔だちのすべてがハマっていた。
 ミスさんさのお二人、於本莉枝さんは公演旅行(ミスさんさは国内外の公演旅行に1年間ひっぱりだこなのです)で忙しい中、よく稽古に参加して役を自分のものにした。岩手県立大生の日山佳那子さんは期末試験と重なったため、楽屋で勉強をしながら東京公演をこなした。どちらも頭が下がる(とても私には真似できない)。
 吉次役の浅川貴道さん(某新聞社)はさすがに劇団経験者だけあって安定感があり、舞台が引き締まる。佐藤兄弟の菊池幸見さん(IBC岩手放送・アナウンサー)、道又力さん(脚本家)も浅川さんとは別の意味で、いつもながら安定感がある。
 藤原泰衡役の村松文代さん(IBC岩手放送・アナウンサー)は男役がぴったりでファンが多い。東京公演でもファンを増やした。 私は殺陣に苦労した。セリフばかりでなく、「振り付け」の覚えも悪いせいだ。しかし、共演した諸賞流和(南部藩の古武道)のみなさんに助けられて何とか形になった。中でも平実盛(ほか)役の宮原佑茉くんは中学三年生だから、盛岡文士劇史上最年少の出演者である。本番を重ねるごとにセリフがさまになっていくようすは見ていて頼もしかった。
 さて、お越しいただいた観客のみなさんの感想だが、アンケートを見ると批判的なコメントはひとつもなかった。「こんなに楽しいものを毎年見ている岩手の人がうらやましい」とか「東京でも定期的に開催してほしい」という声がたくさん寄せられた。盛岡文士劇は盛岡で見てほしいというのが関係者一同の思いだ。そんな我々を代表して谷藤市長も「ぜひ盛岡にいらしてください」という舞台挨拶で締めくくった。
 最も多かったのは、座長の高橋克彦さんがナレーションだけの出演だったことが残念だったという声だ。これは盛岡公演でも多く寄せられた。
 では、とっておきのお話を。
 千秋楽(最終回)の客席に女優の藤田弓子さんの姿があった(藤田さんには盛岡文士劇に2度ご出演していただいている)。なんと藤田さんが涙を拭いているのを、私たちは舞台の上から目撃してたまったのだ。これは盛岡文士劇東京公演への最大のご褒美だと思う。
 ここでちょっと裏話。
 東京公演の会場に新宿紀ノ國屋ホールが選ばれたのは、ステージ、客席ともに盛岡劇場より少し狭いものの、規模が似ているからだった。ところが、楽屋が狭くて、スタッフもキャストも大変な思いをした。
 盛岡劇場は河南公民館と併設なので、文士劇のときは河南公民館の各施設(部屋)もすべて使っている。だから、出演者が多くても支障をきたさない。つまり、盛岡劇場の楽屋だけでは不可能なのだ。紀ノ國屋ホールではその不可能に近い状態を強いられた。体を伸ばして休めないどころか、キャストの坐る場所さえ不足していた。こればかりはしようがない。スタッフ(衣装やカツラ)も大変な苦労を強いられ、創意工夫をこらして対処した。
 ちょっとしたアクシデントもあった。初日直前に内館牧子さんが体調不良を訴えられたのだ。
 内館さんは2008年の第14回盛岡文士劇の初日の後に倒れ、数ヶ月の闘病生活を送った後、みごとに復活している。その「前科」があるので、私たちは万一の場合に備えて、内館さんの代役を立てるなど即座に対応策を練った。幸い内館さんはすぐに復調し、3回の公演を無事につとめられたが、あのときの楽屋裏でのスタッフならびにキャストの沈着冷静かつ迅速な対応は忘れられない思い出になった。私たちはいつの間にか、このような緊急事態にも対処できるスキルを身につけていたのだ。
 もうひとつ。北上秋彦さんは不調をおして本番を終えたのだが、岩手に帰ってから医者にかかったところ、インフルエンザだったことが判明した。さっそく「うつしてしまったら、ごめんなさい」とお詫びのメールが来た。私は予防接種をしていたおかげで無事だったが、翌週、スタッフ2名が感染してダウンした。また、内館牧子さんと秘書、金田一秀穂さんが「風邪でダウン」なさっている。もしかするとインフルエンザだったのかもしれない。これは北上さんの名誉のために黙っていようと思っていたのだが、すでにご自身がラジオなどで公開していらっしゃるので書いてしまった(ゴメンナサイ)。
 盛岡文士劇は初の東京公演を成功裏に終えて、ひとつの大きな役割を果たしたと思っている。壁を壊した(あるいは、壁を乗り越えた)といっていいかもしれない。
〈このごろの斎藤純〉
〇雪が少ないながらも、これまでスキー場に7度も足を運んでいる。今年は春スキーにも挑戦してみるつもりなので、私のスキーシーズンはまだまだ終わらない。
Cuong Vu Trio Meets Pat Methenyを聴きながら