HOME > 目と耳のライディング > バックナンバー2017
目と耳のライディングバックナンバー

◆第397回 神尾裕画伯を紹介します(7.Aug.2017)

 岩手町立石神の丘美術館で5日から『神尾裕展 ~師・吉田清志の作品と共に3』が始まっている。
 神尾裕さんは盛岡市出身だが、日本大学芸術学部入学以後、郷里を離れていて現在は静岡県沼津市に住んでいる。もっぱら東京で個展を開いてきたため、岩手での展覧会は初めてだ。そんなわけで、今回は「紹介します」というタイトルにした。
 タイトルにもあるように、神尾さんは吉田清志画伯(1928-2010)の愛弟子である。
 吉田清志は山の絵で広く知られている。その山の絵は一筋縄でいかない。近づいて見ると、奇妙な形がぎっしりと描かれているのだ。また絵から離れて見ると、やはり山の絵になる。
 その吉田画伯に薫陶を受けた神尾さんの作品も、やはり一筋縄ではいかない。それは実際に石神の丘美術館に展示されている作品をご覧になって、確かめていただきたい。
 また、日本画にも見えるその技法にも大きな秘密がある。なんとテンペラなのである。
 テンペラはルネッサンス期の技法で、油絵技法が発達したため絵画の第一線からは消えていった。その作品が今もなお美しいまま残っていることからもわかるように、テンペラは堅牢で、色褪せない。こういう古風な技法を用いている点にも注目したい。
 神尾さんが所属し、作品を発表している春陽会についても触れておこう。
 春陽会は、1922(大正11)年に日本美術院を離れた小杉放庵、梅原龍三郎らによって創立され、岸田劉生、木村壮八、中川一政、萬鉄五郎らが客員として参加している。改めて言うまでもなく、萬は岩手が生んだ偉大な画家である。第二次大戦中は中断したものの、有力な美術団体のひとつとして今に至っている。
 実は神尾さんと私は岩手大学附属中学校の同窓生だ。これを明かすと「そういうコネで、この展覧会ができたのか」と誤解を招くかもしれないので大急ぎでお断りしておきたい。
 銀座で個展を見て、大きな感銘を受けた。そこで当館の学芸員とも相談したうえで、ぜひ神尾さんの郷里である岩手のみなさんにもご覧いただこうと、この展覧会の開催が決まったのである。
 それでもなお疑う方には、私が『北の文学』の選考委員に就任したのを機に、野村胡堂あらえびす記念館で実施していた「小説講座」の講師を辞任した事実を挙げておく。『北の文学』応募作品に小説講座の受講生の作品があった場合のことを考え、私なりの「李下に冠を正さず」を示した。
 石神の丘美術館でこれまで私がプロデュースしてきた企画展に関しても同様の姿勢で取り組んできたし、これからもそれに変わりはない。
 しかし、石神の丘美術館で神尾さんの作品をご覧いただければ、特別な計らいなど必要のないことが一目瞭然だろう。いや、むしろ「なぜ今まで岩手で展覧会が開かれなかったのか」と思われるに違いない。私もその点は反省している。
 タイやニューヨークでも個展を開いている神尾さんだが、今回のように大作が一堂に会したのは初めてだ。この機会をお見逃しなく。
〈このごろの斎藤純〉
〇春先のスギ花粉に関しては、舌下免疫療法が功を奏して、ずいぶん楽になったのだが、真夏の花粉症に悩まされている。持って生まれた体質だから諦めるしかないが…。
パット・メセニー: One Quiet Nightを聴きながら