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目と耳のライディングバックナンバー

◆第404回 ロシア音楽を浴びる(20.Nov.2017)

 ロシア音楽の巨匠フェドセーエフ率いるチャイコフスキー・オーケストラによるオールロシア・プログラムのコンサートに行ってきた(岩手県民会館大ホール、11月6日午後6時30分開演)。
 フェドセーエフはチャイコフスキー・オーケストラの前身であるモスクワ放送交響楽団の芸術監督及び首席指揮者に1974年就任以来、このオーケストラをロシアのトップクラスに引き上げ、海外公演での実績も重ねて高い評価を得ている。今回のプログラムは得意中の得意とする作品ばかりだ。
 オーケストラのメンバーがステージに登場すると客席がどよめいた。舞台の袖から後から後から出てくるのだ。
 そして、その配置が変わっていた。左から第1ヴァイオリン、チェロ(その後ろにコントラバス)、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという変形対向配置だ。弦の後ろに管楽器、ホルンはヴィオラの後ろで、管楽器の後ろに打楽器群。チェロの後ろにピアノとハープもいる。あの広い大ホールのステージが窮屈そうに見えた。
 この配置は19世紀までは一般的だったらしい(ドイツ型、あるいはヨーロッパ型という)。現在は第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラという配置が一般的だが(チェロとヴィオラの位置が替わる場合もある)、これは20世紀になってから登場した配置だ。
 これだけの大人数のオーケストラだけあって、久々にたっぷりと豊かな音を浴びた。 
〈1〉チャイコフスキー:序曲「1812年」作品49
 1812年、ロシアに攻め入ったナポレオン軍が、ロシア軍の徹底抗戦によって(悪天候によって?)敗走した史実を描いた表題音楽。作曲段階から発表後まで紆余曲折あったが、今日では名曲の座にある。もともと頼まれ仕事で、チャイコフスキー自身、あまり気乗りしないまま作曲したという。発表当初はチャイコフスキーの思ったとおり「ハズれ」たが、やがて本人の指揮によって大好評を博し、「指揮者チャイコフスキー」としてヨーロッパをツアーするきっかけになった。
 はじめの内は威勢よく奏でられるフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」がしだいに情けない感じになっていき、最後は派手な大砲(チャイコフスキーは楽譜に大砲を使うように指示していて、実際に使った演奏もある。たいていは太鼓を使う)で盛り上げる。鐘も効果的だ。この曲をロシア人は嬉々として演奏する。その気持ちはわからないでもない。
〈2〉チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲作品35
 おそらく、この日の聴衆の一番の目的はこの曲だったろう。なにしろ、ヴァイオリン独奏は今をときめく三浦文彰である。誰もが知っている名曲中の名曲だけに、聴衆の耳も厳しい。三浦文彰は第一楽章をかなりゆっくりめの速度で始め(あまりにゆっくりなので、ちょっとハラハラした)、しだいにテンポを上げていった。三浦文彰が調子を上げていくにつれて、聴衆との一体感も増してゆき、第一楽章が終わったときになんと大きな拍手が起こった。
 ご存じのように、今日では楽章間の拍手は「遠慮する」ことになっている。この日の聴衆もそんなことは百も承知だ。そのうえで、拍手しないではいられなかった。そういう演奏だった。楽章間のあれほど大きな「意図した拍手」を私は初めて聴いたように思う。
〈3〉ショスタコーヴィチ:交響曲第5番作品47
 スターリン時代の芸術家は「スターリニズムの奴隷化」を強いられた。これに反抗して自由な表現を求めようとすれば「粛清」されるか、よくても強制収容所に送られるかした。ショスタコーヴィチは常にその瀬戸際にいた。そして、表向きは従順に社会主義リアリズムに合致する作品を発表した。革命20周年を記念して初演され、好評を博した交響曲第5番も実は裏の顔があり、別の真意が込められているという。現在、演奏されている改訂版はその真意を反映したものと言っていいだろう(終楽章のテンポが初演版と改訂版では異なる。初演版はもっと快活だったそうだが、改訂版は重苦しい)。
 オーケストラの配置のせいか中音域がよく聴こえ、CDではあまり目立たないピアノの和音もよく聴こえた。とてもモダンな響きで、映画音楽の巨匠ジョン・バリーが007シリーズの音楽で使っていた和音によく似ているような気がした。
 それにしても、ショスタコーヴィチをソ連崩壊後のロシアの音楽家はどのような気持ちで演奏しているのだろうか。いつか機会があったら、訊いてみたい。
〈アンコール〉スヴィリードフの『吹雪』から第8曲「ワルツ・エコー(ワルツの反復)」という初めて聴く作品で、これもとてもよかった。スヴィリードフはレニングラード音楽院でショスタコーヴィチに師事した20世紀ロシア音楽の巨匠だ。『吹雪』はプーシキンの恋愛小説「吹雪」を映画化した作品のための音楽。これを契機に、スヴィリードフを少し勉強しようと思っている。
 ところで、三浦文彰の母方のお祖父様は盛岡で少年時代を過ごされている。附属中学校時代の同級生だったという方から興味深いエピソードをうかがった。その方は祖父様から頼まれて、お嬢さん(つまり、三浦文彰君のお母さん)をヴァイオリニストの徳永二男氏に紹介したのだという。
「そこで同じ徳永門下の三浦章宏さん(東京フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスター)と結婚して文彰君が生まれたのよ。だから、私が徳永先生に紹介しなければ文彰君は生まれてないの」
 三浦文彰は何かのインタビューで「大事なことのほとんどはヴァイオリニストの母から教わった」と言っている。盛岡と三浦文彰の「つながり」を知って私はただただ驚くばかりだった。
〈このごろの斎藤純〉
〇来月は少し暇ができる…と思っていたのに、そうでもない。いろいろと引き合いがあるのはありがたいことだと自分に言い聞かせている。
○盛岡文士劇の稽古がますます熱気を帯びてきている。安達和平さん(わらび座)の演出は、一段クリアするとさらに要求を一段上げる。その難しい要求をクリアするのだから、盛岡文士劇一座もなかなかどうして大したものである。
武満徹:「秋」(琵琶、尺八、オーケストラのための)を聴きながら