
◆第288回 バッハ・カンタータ・フェライン(28.Jan.2013)
盛岡バッハ・カンタータ・フェラインの『バッハからの贈り物 ~珠玉のカンタータ~ Vol.2』を聴いた(2013年1月13日、盛岡市民文化ホール)。 プログラムは下記のとおり。 |
カンタータ第4番『キリストは死の縛めに捕らわれました』 合唱:盛岡バッハ・カンタータ・フェライン |
「音楽を愛してきてよかった」という喜びに包まれるコンサートがある。山下達郎のコンサートはその代表的なひとつだ。そして、今回の盛岡バッハ・カンタータ・フェラインのコンサートでもそれを感じることができた。 もとより、盛岡バッハ・カンタータ・フェラインは私に宗教音楽(あるいは合唱音楽)の素晴らしさを教えてくれた、感謝すべき演奏家だ。盛岡バッハ・カンタータ・フェラインと出会っていなければ、私はバッハの重要な作品である宗教曲群をこれほど熱心に聴くこともなかっただろう。また、それをきっかけにバッハの以外のバロック時代の宗教曲も聴くようになったし、さらには(あまり一般的ではない)ベートーヴェンやブラームスなどの合唱作品も聴くようになった。 |
そんな盛岡バッハ・カンタータ・フェラインが原点にかえって、カンタータを演奏した。私は宗教音楽を聴くようになったとはいえ、キリスト教徒ではないし、聖書も満足に読んではいない。だから、本当のことを言うなら、どうこう言える立場ではない。 そのうえで言うのだが、今回のコンサートは盛岡バッハ・カンタータ・フェラインのひとつの頂点を示すものだったように思う。 もちろん、ヴィンシャーマンを指揮者に迎えての『マタイ受難曲』(2003年)と『ヨハネ受難曲』(2007年)や、リリングを指揮者に迎えた『ミサ曲ロ短調』(2010年)など忘れがたい名演を盛岡バッハ・カンタータ・フェラインは残している。今回のコンサートは、このような経験を踏まえて、成熟した演奏を聴かせてくれた。 力演や熱演という言葉は似合わない。だからといって、決してさらりと流したわけでもない。演奏に無駄な力が入っていない、あくまでも自然体の音楽を私たちの前に示してくれた。 自然体というのは、実は最も困難な高みなのではないだろうか。 この日、伴奏をつとめる東京バッハ・カンタータ・アンサンブルのコンサートマスター蒲生克郷さんがインフルエンザのため出演できず、第2ヴァイオリンの川原千真さんがコンサートミストレルをつとめた。その影響はほとんど感じられなかった。それもそのはず、なにしろ川原さんは古典四重奏団の第1ヴァイオリニストだ。こうしてみると、錚々たるメンバーをそろえていることに改めて驚かされる。 ことに明記しておきたいのはオーボエの戸田智子さんだ。花巻市出身で、弘前大学を卒業後、東京芸大大学院で研鑽を積んでいらっしゃる。美しい音色でたっぷりと歌うオーボエは将来有望だ。 |
ひとつ残念だったことがある。拍手のタイミングが早いお客がいて、せっかくの雰囲気がそがれた。指揮者が完全に手を下ろすまで待つべき。この方は第1部で帰ったらしく、第2部では曲が終わった後の響きの余韻を味わうことができた。 |
嬉しいお知らせが盛岡バッハ・カンタータ・フェラインからもたらされた。11月にドイツ・レクイエムを演奏するという。大好きな曲だ。今から楽しみだ。 なお、当日配布されたパンフレットが例によって充実していた。永久保存版である。こういうところはプロを含め、他団体も大いに見習ってほしい。 |
〈このごろの斎藤純〉 |
〇60年代のブルース・ロックを聴いている。聴くだけではなく、たまに演奏もするようになった。愛器はギブソン・レスポール・カスタム(60年代のモデルの復刻版)だ。これもひとつの原点回帰といっていい。 |
サボォイブラウンを聴きながら |
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