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目と耳のライディングバックナンバー

◆第300回 ふたつの若冲展を観る(22.Jul.2013)

 封建的な武家社会が疲弊するとともに武士中心だった文化も衰退をしていく一方、江戸や大阪の商人が豊かな財力をもとにして新しい文化を築いていった。伊藤若冲がそうした時代を背景に登場した絵師の中でも突出した存在だったことは作品を観ればわかる。
 若冲には西洋の美術を研究した跡がある。鎖国下ではあっても、私が思っていたよりもたくさんの西洋文化が密かに流入していたようだ。
 ただし、西洋の文化を取り入れたというだけで若冲の斬新さを解明できるわけではない。とにかく絵ばかり描いていたという勤勉さも忘れてはならないが、人の何倍も描いたからといって新しいものを生み出せるとは限らない。やはり天才だったのだろう。
 その天才を受け入れる土壌(社会的背景)が育っていたことも幸いした。絵画だけでなく、工芸品(根付など)も発達し、江戸時代末には世界に冠たる文化的社会が築かれていた。
 プライス・コレクションもファインバーグ・コレクションも江戸時代の日本美術でなりたっている。これは、最初から系統立てて収集するつもりがなく、「好み」のものだけを集めてきた結果だという。だから、おもしろい。美術史的な収集をする美術館のコレクションは総花的になり、その結果、特色が失われがちになる。
 そして、プライス・コレクションにもファインバーグ・コレクションにも日本にあったら重要文化財級の作品が含まれている。それほど重要な日本美術がどうして海外にあるのだろうか。
 明治維新がひとつのきっかけだった。
 明治維新はそれまでの日本の文化を否定し、せっせと西洋文化を導入した。時代の変革によって金に困った武家からも美術品が後から後から売りに出される。片や外国人は日本の美術作品を熱心に買い集め、自国に持ち帰った(その結果、欧米では日本ブームが起こる)。
 また、廃仏毀釈(神社と寺社を分離する目的だったのに、結果的には仏教排斥となった)によって、寺社から仏像とともに屏風や掛け軸なども流出することになった。
 第二次大戦後は旧士族や旧宮家が所蔵していた日本美術がマーケットに流れた。
 マーケットに流れた日本美術は日本人も買うことができたわけだが、残念ながら目利きがいなかったようだ(あるいは、お金がなかったのかもしれない)。
 海外の個人コレクションに収まっていることについて否定的な意見もあるが、もしあの作品群が日本の個人コレクターによって収集されていたら、人の目に触れる機会がほとんどなかった可能性もある。日本では個人のコレクションを公開するという習慣がなく、むしろ秘蔵するほうが常識だからだ。
 けれども、こうして江戸美術に触れるたびに私は失ったものの大きさを改めて考えてしまう。海外に流出したことを嘆くのではない。明治維新とはいったい何だったのか、と考えてしまうのだ。
 なんだか回り道というか余計なことばかり書いた。
 いずれにしても、日本では印象派美術を観るよりも、日本美術を観る機会が少ない。この夏はふたつの素晴らしい展覧会を観ることができた。プライスさんとファインバーグさんにはいくら感謝しても感謝しきれない。
〈このごろの斎藤純〉
〇『アウトライダー』8月号が発売中だ。巻頭特集は「三陸へ」。「『復興への想い』を共有するための旅」とサブタイトルが付いている。岩手県出身の私と菅生編集長、それに仙台在住の熊谷達也さんの3人で手分けをして、それぞれの体験を踏まえて「三陸の今」を伝えている。
ツーリング紀行として、こんなにユニークな読み物は他にそうないと思う。まさにアウトライダーならではの、いや、アウトライダーでなければ実現不可能な内容だ。菅生編集長渾身の一冊といっていい。オートバイに乗らない方にもご覧いただきたい。
〇私が芸術監督をつとめさせていただいている岩手町立石神の丘美術館の開館20周年記念『王子江展』はいよいよ今週で終わる。
 水墨画というと黴臭いイメージがあるが、王さんの水墨画は迫力と活気がある。いうならば、水墨画における現代の伊藤若冲のようなものだ。たくさんの方にお越しいただいている。ことに若い方が多いのも嬉しい。
『シュガーマン』サウンド・トラックを聴きながら

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