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目と耳のライディングバックナンバー

◆第323回  岩手発・日本画を観る (7.Jul.2014)

 岩手で暮らしていると、日本画に接する機会があまりない。日本画を見せてくれる美術館がないし、日本画の巡回展がまわってくる頻度も洋画に比べて格段に少ない。この連載でも何度か書いているように、1200年(あるいは、それ以上)の歴史があるといわれている日本画を観る機会よりも、100年ちょっとの歴史しかない洋画を観る機会のほうが遥かに多いのだ。何ともいびつなことである。
 私は2009年に岩手町立石神の丘美術館の芸術監督に就任したときから日本画の展覧展を開きたいと思っていたが、日本画の画家は少ない。そのうえ岩手出身に限定すると、現役では村田林藏さんしかいらっしゃらない。村田林藏さんの日本画展をどうしても開きたくて、早くから連絡をとり、鎌倉のアトリエにも足を運んで準備を進めてきた。それが現在開催中の『村田林藏・山田宏子 日本画二人展』である(7月22日まで)。山田宏子さんは村田夫人で、夫婦合同の展覧会は初めてとなる。
 準備段階でわかったことがある。リニューアル前を含めて20年の歴史を持つ石神の丘美術館でも、日本画展は今回が初めてなのである。そんなわけで、記念碑的なものとなった。
 村田林藏さんは1954年、岩手県大迫町(現花巻市)生まれ。盛岡市立高校から東京藝術大学日本画科に進み、平山郁夫に学んでいる(当時は平山郁夫が学生を直接指導にあたっていたという)。
 1990年の春の院展(日本美術院展覧会)および再興75回院展で初入選、1993年には院友に推挙され、以後、院展を中心に各地で展覧会を開催し作品を発表している。
 夫人の山田宏子さんは東京藝術大学で共に学んだ同期生で、1953年愛知県の生まれ。截金(きりかね)による仏画や植物を描いた作品を多く制作し、各地の寺院等に納められている。
 このお二人のそれぞれの持ち味を存分に味わえる展覧会になったと自負している。
 岩手との結びつきを大切にしている村田さんは、岩手ゆかりの作品を手がけている。本展ではその中から母校の盛岡市立高校への寄贈作品、岩手町からの依頼作品、大迫町からの依頼作品、原画を担当した平泉・中尊寺「金色堂」切手(2000年)、同寺に奉納した《金色堂散華心象図》(2012年)下絵などが一堂に介している。
 また、村田さんはしばしば「牛の画家」と呼ばれるように、牛の大作をよく描かれている。それらのうちから画家自身が厳選した作品が展示されている。
 村田さんはオーセンティックな日本画の伝統と、モダンな感覚をみごとに融合させている。そのうえで「凛とした美しさ」を我々に見せてくれる。
 山田宏子さんの仏画、花の絵も小品ながら見応えがある。よけいなことだが、山田宏子さんの花の絵には「きれい」だけではすまされないものが秘められているのを私は感じる。もちろん、それは日本画でなければなし得ない表現でもある。じっくりご覧になっていただきたい。
 冒頭にこの企画展が石神の丘美術館にとって記念碑的なものになったと記したが、村田林藏さんにとっても岩手でこれだけの規模の展覧会は初めて(もちろん、美術館での開催も初めて)であり、しかも「還暦の年に開催できた」ということで何重にもおめでたい展覧会となった。こういうことは大いに自画自賛したい。
〈このごろの斎藤純〉
〇7月11日をもって、もりおか復興支援センター長を退任することになりました。2011年7月11日開設以来、丸3年間、つとめたことになります。みなさんにはお世話になりました。記して感謝申し上げます。
ヴァインベルクの弦楽四重奏曲全集を聴きながら