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目と耳のライディングバックナンバー

◆第335回 未知の画家との遭遇 (13.Jan.2015)

 萬鉄五郎記念美術館で開催中の『晴山英 -湧きあがる色彩 未知なるフォルム-』展に行ってきた。
 晴山英は1924(大正13)年、盛岡市生まれ。2011年に亡くなるまで一貫して前衛美術を追求しつづけた。両親は萬鉄五郎を生んだ花巻市東和町出身というから、何か地霊のようなものを感じる(私の悪い癖だろうか)。
 晴山の絵は、ひとことで言うとシュルレアリスムだ。この世のものではない、彼女自身の内側から湧きあがってきた「何ものか」を描きつづけた。
 昭和時代の作品にはちょっと病的なものを感じないでもないが、平成時代の作品はどこか突き抜けた感じがあり、しかもパワフルだ。何も知らされずに作品と向き合っていたら、1980年代生まれの画家の作品と思っただろう。実際、その年代の画家と共通する匂いのようなものがある(これは今後の課題としておこう)。
 日本のシュルレアリスムの代表的な画家といえば古賀春江(1895年 - 1933年)、福沢一郎(1898年 - 1992年)、靉光(1907年 - 1946年)が思い浮かぶ。古賀、靉光は無理としても福沢とは同時代の画家だったといえる。
 初期の作品には岡本太郎の影響が見受けられるが、前衛美術をやっていて、岡本太郎の影響を受けないのは逆に難しいかもしれない。
 実はこの展覧会で私は初めて晴山英を知った。岩手県立美術館も作品を持っていて、常設展で展示されたことがあるが、私は見逃している。
 これほどベテランの画家を知らなかったのは、私のアンテナが低かったせいであり、大いに反省しなければならない。もっとも、盛岡出身とはいえ、もっぱら所属する齣(こま)展への出展と日本画廊(日本橋)での個展で作品を発表なさっていたため、岩手ではあまり馴染みのない画家だったことも事実だ。
 とはいえ、できればお目にかかって、出身校である岩手美術工芸学校時代のことや自作のことをお聞きしたかったと悔やまれる。
 未知の画家との遭遇はいつでもわくわくさせられる。しかし、数点の作品だけでは、よくわからなかったかもしれない。まとまった数の作品を一望したことによって、画家の全体像はもちろんだが、個々の作品の良さも見つけることができたように思う。これだけまとまった数の作品と対峙できる機会はそうはないだろうから、萬鉄五郎記念美術館には大いに感謝したい。
〈このごろの斎藤純〉
○昨年あたりから、私の旧作の電子出版化が始まっている。今年もすでに4冊が電子化される予定で、そのための準備に追われている。というのも、出版から10年以上を経ているため、若干の修正が必要なのだ(委細かまわずそのまま電子化する作家も少なくないが、私には直し癖がある)。
○電子出版は作家にとっては利益率が低く、現状では先行投資の感が拭えないものの、出版不況が続く中、多くの可能性を秘めていると思う。
『ヘイッキ・サルマントの個展』を聴きながら

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