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目と耳のライディングバックナンバー

◆第340回 ポーランド音楽について考えた (23.Mar.2015)

 去る2月28日(土曜日、午後2時30分開演)にプラザおでってホールで、高木知寿子さん(ピアノ)とラトゥール・カルテットによる演奏会があった。
 プログラムがザレンプスキのピアノ五重奏曲とショパンのピアノ協奏曲第1番(B.Kominek編曲によるピアノと弦楽四重奏版)というユニークなものだった。
 このコンサートを振り返りながら、いつしかポーランド音楽について考えを巡らせていた。
 ザレンプスキは1854年に生まれて、1885年に31歳の若さで亡くなった作曲家だ。同郷のショパンは1810年に生まれて1849年に亡くなっている。ショパンが39年の生涯に100近い作品を残しているが、ザレンプスキは30数曲と少ない。これはザレンプスキが作曲した期間が実質的には5年間にすぎなかったためらしい。
 脱線するが、ポーランド音楽の期待を一身に背負っていたカルウォーヴィチ(1876年生まれ)も1909年に33歳の若さで世を去っている。スキー中に雪崩に巻き込まれてしまったのだという。
 ポーランドの作曲家は若死にする宿命を負っていると言いたいわけではない。一般的な知名度はともかく、ヴァイオリンを学ぶ人やヴァイオリン音楽好きにとってはとても重要な作曲家・ヴァイオリニストであるヴィエニャフスキは1835年に生まれて、1880年に亡くなるまで世界中で演奏会を開き、数々の名曲を残した。ヴァイオリニストの登竜門として知られるヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールでその名を知っている人のほうが多いかもしれない。
 ポーランドの作曲家と書いたものの、ショパンは二十歳くらいのころからポーランドを離れ、そのまま故国に戻ることなく、パリで亡くなっているから活動の拠点はポーランドではなかった。ザレンプスキもベルギーのブリュッセルが活動の拠点だった。
 ただし、二人ともポーランドを離れていたものの(だからこそ、というべきかもしれないが)、ポーランドの風土を強く意識していた。それはわざわざ言葉にするまでもなく、二人が残した作品に耳を傾ければ雄弁に物語ってくれる。
 この日の演奏会は、客席の我々をポーランドの風土に包み込んでくれた。あのたっぷりとした叙情性。しかし、甘く流れるのではなく、どこか凛とした芯の強さを持っている。
 そんなふうに感じさせてくれたのは、ポーランド音楽のオーソリティといっていい高木知寿子さんならではのことだろう。そもそもザレンプスキを生で聴くことができるなんて、そうあることはではない。
 これはラトゥール・カルテットで第一ヴァイオリンを担当している山口あういさんと高木さんの師弟関係が背景にあって実現したのだと知って納得がいった。
 ショパンのピアノ協奏曲第1番の室内楽版も初めて聴いたが、これは弦楽四重奏団にとっては大変な作品だなあ、と思った。聴衆に「演奏が大変そうだ」と思わせるのは演奏家としてまずいのだが、この場合は大目に見たい。なにしろオーケストラの役割をわずか4人に(しかも、管楽器のない弦楽器だけの編成)に担わせるのだから。
 それでも、19世紀にはこの演奏形態で協奏曲はもちろん、交響曲も盛んに演奏されていたそうだ。このコンサートをきっかけに、そういう演奏にも俄然、興味が湧いてきた。
〈このごろの斎藤純〉
〇急に春めいてた。それは喜ばしいのだが、花粉症持ちなので、つらい季節でもある。
ペンデレツキ:弦楽四重奏曲第1番を聴きながら

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