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目と耳のライディングバックナンバー

◆第352回 ザ・ジャドウズ・デビューコンサートの内幕 (28.Sep.2015)

 私がバンドマスターをつとめるバンドであるザ・ジャドウズのデビューコンサートについて、この場に書くのは公私混同も甚だしいとお叱りを受けそうだが、まあ、めったにないことなのでお許しいただきたい。それに、これはちょっとエポックメイキングなコンサートでもあったので、まったく無意味というわけでもない(と弁解しておく)。
 ザ・ジャドウズは今年の6月に私が呼びかけて結成した。ドラムスの澤井泰董さんは、主にフュージョン系のバンド(アジマスなど)で活動していて定禅寺ストリートジャズフェスティバルの常連でもある。ギターの吉田亘さんはもはや伝説のバンドと化しているにじむらさきのリードギタリストで、そのプレイも容姿もリッチー・ブラックモアに瓜二つなのでリッチーと呼ばれている。ベースの田村明光さんとは高校のころからの音楽仲間で、特に学生時代はココモジャイアンツというブルーズバンドで都内中央線沿線のライヴハウスにしばしば出演していた。
 私以外の3人は文字通りのベテランだが、私は楽器歴こそ長いものの途中20年近くブランクがあって、いつも足をひっぱっているような情けないバンドマスターだ。
 メンバーは奇しくも全員が昭和30年代生まれである。これは意図したわけではなく、後に判明したことだ。ザ・ジャドウズのレパートリーは主に1960年代のジャパニーズヒットなので、私たちが子どものころに聴いた音楽ということになる。
 ちみなに、ザ・ジャドウズというバンド名を考案したのは澤井さんだ。ザ・ジャガーズ(一時期はザ・タイガースやザ・テンプターズなどと人気を分け合った)の「ジャ」、ザ・シャドウズ(「アパッチ」や「春がいっぱい」などのヒット曲で知られる。リードギターのハンク・マーヴィンはイギリスのロック・ギタリストに大きな影響を与えた、エレキギターの先駆者)の「ドゥ」、ザ・ベンャーズの「ズ」、そしてザ・タイガースの「ザ」をいただいたと冗談で紹介しているが、もちろん「邪道」から来ている。
 ザ・ジャドウズを結成するに至った動機は、いくつものできごとが重なっている。
 加山雄三の大ヒット映画「若大将シリーズ」全作を衛星放送でいっきに見る機会に恵まれた。この映画は加山雄三の楽曲がつきもので、これに私はまずハマった。そして『エレキの若大将』を見たときに、ザ・ベンチャーズを改めて聴いてみようと思いたった。
 ザ・ベンチャーズを聴いていると、ザ・ベンチャーズの曲に日本語の歌詞をのせたヒット曲の数々と再び出会うことになった。「京都の恋」、「雨の御堂筋」、「二人の銀座」、「北国の空」などである。これらが揃いも揃って名曲なのだ(と、今ごろになって気づくあたりが私のボンクラなところだ)。
 私は日常的に60年代のジャズやロックを聴いているが、日本のヒット曲をちゃんと聴いたことはなかった。中村晃子や西田佐知子、そしてGS(グループサウンズ)を熱心に聴いた。
 そんなとき、ザ・タイガースが復活ライヴを行なった。その中継を衛星放送で見て、私はぶったまげた。私より10歳前後も上のメンバーが、現役時代さながらの演奏を繰り広げたのだ。
 これが直接の引き金になった。私はベンチャーズとGS、そして60年代の日本のヒット曲を演奏できるバンドを組もうと決心した。私はギターを弾くようになって40数年になるが、バンドマスター(リーダー)をつとめるのは実は初めてのことだ。
 バンドを組んだ時点で私は、もりげきライヴ(盛岡劇場地下のタウンホールを会場に、毎月第3水曜日の夜に開催されている定期コンサートで、もう200回を超えている。ホールを借りたり、音響や照明を手配したり、チラシをつくって配布したりとコンサートを開くには大変な手間と労力とお金がかかる。アマチュアでは難しいコンサート開催を、もりげきライヴは支援している)でのデビューを考えていた。もっとも、とうぶん先のことになる予定だったが、いろいろな条件が重なって、思っていたよりもずっと早く実現することになった。
 もりげきライヴは、実力があり、ある程度の集客力を見込めないミュージシャンは出演できない(実行委員会による審査がある)。また、私たちのようなアマチュアが2時間近いコンサートを貫徹するのはほとんど無理であり、多くの場合、複数のバンドが組んで出演している。
 ザ・ジャドウズはひとつのバンドでやり通した(といっても、ゲストに参加していただいたが)。しかも、ある程度認知されているバンドならともかく、海のものとも山のものともわからない「新人バンド」の分際でだ。無謀ながら、ひとつのエポックではあった。
 実は予期せぬアクシデントに見舞われ、苦しいスタートだった。そのことについて触れているので、当日、会場で配布させていただいたチラシから、挨拶文を下記に転載しておく(これは終演後にお持ち帰りいただいた。事前に配布すると「どんな曲を演奏するのか」という興味がそがれてしまう。したがって、ラジオ出演など事前の告知の際にもオープンにしていい曲を限定するなど注意を配った)。
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本日は足をお運びいただき、ありがとうございました。心から感謝します。
1960年代、日本は敗戦からの「奇跡の復興」をほぼ成し終え、高度経済成長のまっただなかにありました。今宵、私たちが演奏した楽曲にはそんな時代背景を反映した「勢い」が感じられます(一方、光が強ければ影は濃くなるわけで、虚無的な楽曲もヒットしました。いつかそんな楽曲にも挑戦したいと思っています)。

ベンチャーズに代表されるエレキ・ブームはやがてグループサウンズ・ブームとなり、歌謡曲の世界にも影響を与えるようになります。
これは日本だけの現象ではありませんでした。ギター2本、ベース、ドラムスという4人編成のスタイルは、ビートルズの誕生を促し、その後のロックの扉を開くことになります。あのエレキ・ブームがアメリカを中心に、日本はもとよりイギリスや北欧諸国などで世界同時多発的に興ったことについてはまだ充分な研究がなされているとはいえず、とても興味深いものがあります。

そんな小難しいことはともかく、今宵はお楽しみいただけましたでしょうか。演奏中は充分な楽曲紹介ができませんでしたので、演奏曲のデータを配布させていただくことにしました。1960年代のできごともピックアップしました。「歌は世につれ、世は歌につれ」といいます。ご参照いただければ幸甚です。

最後に。ザ・ジャドウズのデビューコンサートにオリジナルメンバーである田村明光が急病のため出演でなかったのは残念でしたが、旧知の下田耕平さんに代役を快諾していただいたとき、「仲間ってありがたいものだな」としみじみ思いました。この場を借りて下田耕平さんにお礼をいわせてください。本当にありがとうございました。
2015年9月16日
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 というわけで、本番一週間前にベーシストが倒れるというアクシデントがあったものの、上記のように下田耕平さんという心強い仲間に支えられてこのコンサートを無事に終えることができた。
 ボーカルで参加してくれた二人のことも簡単に紹介しておきたい。
 石倉かよこさんは私がギターで参加していたホットクラブオブ盛岡(ジプシースイングあるいはマヌーシュスイングというフランス生まれのジャズを演奏するバンド)で2010年から何度も共演させていただいている。本来、ジャズボーカルが専門なのだが、今回初めて日本のポップスに挑戦してもらった。
 佐々木和夫さんはアウトオブオーダーというバンドで、エリック・クラプトンなどのロック、井上陽水などのニューミュージック、そしてオリジナル曲を歌っている。私はあるイベントで佐々木さんの甘い声と確かな歌唱力に惚れ込み、いつか共演したいと思っていて、2年越しに夢がかなった。
 演奏曲目は下記の通り。なお、アンコールにはザ・ジャドウズのデビュー祝いに北上市から駆けつけてくれたサックスの齋藤悦郎さんが参加してくださった。
【第1部】The Jadows
クルーエルシー Mike Maxfield(1963)
パイプライン B.Spickard,B.Carmen (1963)
ブラックサンドビーチ 弾厚作(1965)
十番街の殺人  R.Rodgers(1964)
ダイヤモンドヘッド  D.Hamilton(1963)
アパッチ  J.Lordon(1960)
さすらいのギター  J.A.Schatrow(1963)

【第2部】石倉かよこ+The Jadows
涙の太陽  作詞:湯川れい子/作曲:中島安敏(1965)
雨の御堂筋 作詞:林春生/作曲:ザ・ベンチャーズ(1971)
京都の恋  作詞:林春生/作曲:ザ・ベンチャーズ(1970)
虹色の湖 作詞:横井弘/作曲:小川寛興 (1967)
二人の銀座 作詞:永六輔/作曲:The Ventures(1967)
そんなヒロシに騙されて 作詞:桑田佳祐/作曲:桑田佳祐 (1983)
恋のバカンス  作詞:岩谷時子/作曲:宮川泰 (1963)

【第3部】佐々木和夫+The Jadows
ブルーシャトウ 作詞:橋本淳/作曲:井上忠夫(1967)
あの時君は若かった 作詞:菅原芙美恵/作曲:かまやつ ひろし(1968)
想い出の渚 作詞:鳥塚繁樹/作曲:加瀬邦彦(1966)
エメラルドの伝説 作詞:なかにし礼/作曲:村井邦彦(1968)
蒼い星くず 作詞:岩谷時子/作曲:弾厚作(1966)
花の首飾り 作詞:菅原房子(補:なかにし礼)/作曲:すぎやま こういち(1968)
シーサイド・バウンド 作詞:橋本淳/作曲:すぎやま こういち(1967)

【アンコール】
真っ赤な太陽 作詞:吉岡治/作曲:原信夫 (1967)
ウォーク・ドント・ラン64  J.Smith(1960/1964)
 おかげさまで当日は80名を超えるお客さまにお越しいただいた。特筆しておきたいのは、そのうちのほぼ4割が、もりげきライヴに初めていらしたということだ。もりげきライヴは、新しいお客さまの開拓を課題にしているので、これは本当に嬉しかった。ひとつのエポックだったと言っていいと思う。
 アンケート結果を見ると、おおむね好評だった。これにも出演者一同、大いに胸を撫で下ろした。いいお客さまに恵まれたということだろう。
 社会人のバンド活動というのは本当に難しい。せっかく練習日程をやりくりしても仕事の都合で参加できなくなるということが何度もあった。それでもお互いにお互いを認め合い、なんとか補いながら成し遂げた。くどいようだが、音楽を通して仲間のありがたさを再認識させられた。
 6月から練習を始めておよそ3カ月間あまり。一夏を私はザ・ジャドウズに捧げたと言っていい。そして、一生の思い出になる夏を過ごすことができた。
 とはいえ、ザ・ジャドウズの活動はまだ始まったばかりだ。実は次の「野望」もある。どうぞお楽しみに。
The Jadows
田村明光(ベース)  1956(昭和31)年1月21日
斎藤純(ギター) 1957(昭和32)年1月5日生
吉田亘(ギター) 1961(昭和36)年2月6日生
澤井泰董(ドラムス)  1964(昭和39)年2月5日生

Special Thanks
佐々木和夫(ヴォーカル) 1957(昭和32)年12月5日生
下田耕平(ベース) 1959(昭和34)年7月16日生
斎藤悦郎(サックス) 1963(昭和38)年2月10日生
石倉かよこ(ヴォーカル) 1963(昭和38)年6月11日生
〈このごろの斎藤純〉
○盛岡文士劇の顔合わせがあった。あれからもう1年になるのか、とただただ驚いている。
○今年、私が出演するのは『源氏物語』である。渡された台本をひらいて、驚いた。なんと女形なのだ。
「純さんの希望でしたので」とは作家の道又力氏の弁だが、私はそんなことを言った覚えがない。どうやら、打ち上げの席で酔った勢いで言ったらしい。いやはや。
サウンズ&カラー/アラバマシェイクスを聴きながら