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目と耳のライディングバックナンバー

◆第360回 風土と美術 (25.Jan.2016)

 萬鉄五郎記念美術館は、萬鉄五郎を生んだ土地の風土と美術の結びつきを考えさせる展覧会をしばしば企画している。『藤根與治郎・藤原八弥 兄弟展』(平成27年12月1日~平成28年1月31日)もそのひとつだ。「萬鉄五郎から連なる地方美術の系譜」というサブタイトルが付けられている。
 花巻市東和町出身の藤原八弥(1914-1998、旧姓藤根)は、教員をしながら画家を志し、初期は地元土沢の風景を多く描いた。北上に移り住んでからは一水会会員となり、鬼剣舞をテーマに数多くの作品を制作し、民俗芸能の発展にも貢献している。また、北上・国見山地区の文化復興や萬鉄五郎記念美術館(当時は萬鉄五郎記念館)の建設にも尽力した。
 さまざまな画風に挑戦していたことが、今回の展覧会でわかる。中でも鬼剣舞シリーズが圧巻だ。そのキャリアのすべてが結実している。風景と伝統芸能という「風土」と深く結びついた画家がいたことをこの展覧会で教わった。
 八弥の兄・藤根與治郎(1903-1959)も土沢で独学で絵画を学び、花巻や遠野を中心に、鉛筆画による死者の肖像を数多く描いた。
 死者の肖像というのは、写真をもとに鉛筆で描かれた細密写実画の遺影だ。写真を大きく引き伸ばすことができなかったので、こういう肖像画が生まれたらしい。
 また、遠野や花巻あたりには、死者の生前の姿を描く極彩色の絵馬の伝統があった。死者の肖像はその伝統の流れをくむものとも思える。
 実はこれが、ただならぬ気配を放っていて、正直なところ、夜に一人では決して見たくないと思った。死が真に迫っているのである。写真の遺影では、こんな経験はしたことがない。なぜ、絵のほうが「死」を強く感じさせるのだろうか。これは今後のテーマにしておこう。
 藤原八弥と藤根與治郎は我が国の洋画の大きな牽引者だった萬鉄五郎と同じ風土で育った。求める芸術はそれぞれ異なっていたが、根底に流れているものに共通性を見出すことは難しくない。
〈このごろの斎藤純〉
〇暖冬のため小岩井雪祭りの雪像が今年はつくられないそうだ。残念だが、仕方がない。一方、心配された冬季国体も、ようやくまとまった降雪があったおかけで、どうにか無事に開催できそうだ。一安心である。
貴志康一:ヴァイオリン協奏曲を聴きながら