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目と耳のライディングバックナンバー

◆第370回 ノースウィンドプロジェクトを観る(27.Jun.2016)

 岩手町立石神の丘美術館で、ノースウィンドプロジェクト『私の風景 小林志保子、たんのそのこ、杉本さやか』展を開催中だ(7月24日まで)。
 私が石神の丘美術館に芸術館監督として招かれたのは2009年だが、それ以前からアートウォークという企画展を隔年で開催してきた。これは岩手ゆかりの若手美術家に、石神の丘美術館を舞台にした制作をしてもらうもので、野外展示へのチャレンジが大きな特徴だった。石神の丘美術館ならではのユニークな内容が、毎回、話題になった。
 アートウォークは昨年、10年の節目を機会に終了し、その後継企画としてノースウィンドプロジェクトをスタートさせることになった。ノースウィンドプロジェクトは、「北の地・石神の丘から新しい風をおこす」という思いがこめられている。同時代に生まれている作品に触れることで、感性を揺さぶられる機会にしたいと思っている。
 その第1弾が『私の風景』展だ。
 小林志保子さんはリアリズムの風景画(ご本人はそうは思っていなくて、風景画どころか具象画を描いているという意識も薄いのだという。私にはそれがわかるような気がする。具象画を描いているようでいて、実のところ、心象画なのだ)と、着色した四角片(枡目)を組み合わせた風景画という異なる作風の作品を展示している。後者は点描画やタイル画を思わせる。さらには、近年になって人気沸騰中の伊藤若冲の『鳥獣花木図屏風』を連想する方もいらっしゃるだろう。
 ところが、小林さんはそれらとは根本的に異なる技法を駆使している。四角片(枡目)はすべてバラバラなピースになっていて、壁にひとつずつ貼って完成させるという実に気の遠くなりそうな制作過程を経ている。
 何もそんなことをしなくてもいいだろうに、と思われるかもしれないが、こういう過程を経ることでしか生まれない深み、量感、空気感が確かにある。
 たんのそのこさんの作品は「何を描いているのかわからない」と言われるタイプのものだ。でも、じっと観ていると、秋の林があったり、朝霧に霞む野山があったりする。それらは岩手で暮らしている私たちにとっては身近な風景だ。葉っぱも花びらも描かれていないのに、私はそれを感じる。
 たんのさんもまた独自の技法を持っている。市販の絵具をつかわず、陶器に用いる土と顔料を組み合わることで、独特の質感を出しているのだ。たんのさんは今は色彩を抑えた作品を制作なさっているが、私はこの人が色彩に挑戦したら大化けするのではないかと思っている(注:たんのさんはこういう戯れ言にはまどわされないで、自分の作品を追究してください)。
 このところ評価が高まり、成長著しい(というよりも、世間が追いついてきたというほうが正しいのかもしれないが)杉本さやかさんは、今風に言うなら「ヘタウマ」の画家だ。誰でも描けそうな絵だが、実際には杉本さん以外、誰にも描けそうにない。それは小品の建物にも大作の海にも言える。
 杉本さんの絵からは哀しみ、沈鬱な響き、どうしようもない切なさ、そして孤独が滲み出ている。杉本さんの絵の前に立つ人は、否応なくそれを受け取ることになる。
 実際の杉本さんはお茶目で、とてもおしゃべりで(これがまた抱腹絶倒の話術なのだ)、正統盛岡弁も操れる。こういう方のどこからあの絵が生まれてくるのか、私はいつも興味深く見ている。
 三人三様の作品が石神の丘美術館の展示室に、このうえない極上の「癒しの空間」をつくっている。けれども、決して生ぬるい癒しの空間ではない。ピンと張りつめたものが一本通っている。厳しい真冬のある日に一瞬訪れた晴れ間の陽光と言ったらいいだろうか。
 石神の丘美術館は、「石神の丘美術館ならではの」、「石神の丘美術館でしかできない」展覧会を目指している。決してミニ県立美術館ではない。  
 ノースウィンドプロジェクト『私の風景』展は、このポリシーをみごとに実現している。さらには、美術家と美術館との共同作業による美術も実現している。その結果、実に爽やかな展示になった。岩手町立石神の丘美術館で「爽やかな風」をぜひ感じていただきたい。
〈このごろの斎藤純〉
〇今年はのんびり過ごしているつもりだったが、登山もサイクリングもツーリングも例年より少ない。結局、あれやこれや忙しいせいだ。おかしいなあ(苦笑)。
マージービート(リバプール・サウンド)を聴きながら