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目と耳のライディングバックナンバー

◆第387回 二戸で文化の底力を見る(13.Mar.2017)


 岩手県は、市(町)民劇が盛んだ。ざっと思いつくままに挙げると、花巻市民劇場、遠野ファンタジー、釜石市民劇場、千厩地域市民劇場、奥州前沢市民劇場、二戸市民文士劇、紫波町民劇、北上市民劇、雫石町民劇場、一関藤沢市民劇場(旧藤沢町民劇場)、奥州市民文士劇、そして、これらとはちょっと手法が異なるものの盛岡市の劇団もりおか市民などがある。
 改めて言うまでもなく、市(町)民劇は、誰もが参加できる。これが最大の特徴だ。そういう意味では、新しい形の祭り(民俗芸能)ということもできる。そして、かつては祭りが担っていたコミュニティ形成という役割を、市(町)民劇が担いつつある。市(町)劇に参加するためにUターンしてきたという人もいるし、市(町)劇に参加しつづけるために、高校や大学を卒業後にその地で就職先を見つけたという人もいるという。
 東日本大震災後、岩手県の沿岸各地では人手も道具類も少ない中で祭り(民俗芸能)が続々と復活していった。あのとき、祭り(民俗芸能)とは、その土地に生きる人々の尊厳のひとつの証なのだと気付かされた。市(町)民劇もそれに近い存在になりつつある(すでにそうなっているところもある)。
 固い話はともかく、一般的に市(町)民劇は、見るほうにとっても演るほうにとっても「下手は下手なりに一所懸命やればよい」という共通認識のもとで行われていると思う。ま、はっきり言って「演劇としてのレベルの高さ」は見るほうも求めていない。
 だが、近年は事情が少し違ってきた。レベルが高く、うっかりしているとアマチュア劇団が尻尾を巻いて逃げだしそうな市(町)民劇が増えているのだ。
 先月、観劇した二戸市民文士劇(2月19日、正午からと午後6時からの2公演)はまさに後者の市(町)民劇だった。
 演目の『みちのく忠臣蔵 ~相馬大作物語~』は道又力さんによるオリジナル脚本だ。道又さんがパンフレットに寄せた文章から一部を転載する。
〈相馬大作を主人公に脚本を書いてほしいと依頼され、正直困ったなーと思いました。主君たる南部公の恨みを晴らすため、大作は津軽公の行列を待ち構え大砲をぶちかまそうと計画します。南部と津軽の対立は、江戸城中の席次をめぐる殿様同士の見栄の張り合いが原因です。そんな下らぬ理由で暗殺を計画するなんて、あまりに単純な思考回路の持ち主のように思えたのです。(中略)つまり戦闘にかけてはプロ中のプロ。そんな男が本気で取り組んだら、津軽公を討ち損じる恐れは百に一つもありません。なのに何故、暗殺は失敗したのか。〉
 道又さんはこの疑問にひとつの答えを見つけだした。それはこのお芝居の最大の眼目だから、ここでは明かさないが。郷土の歴史を掘り起こし、子細に検討し、豊かな想像力で書き上げられた道又脚本は、まさに市(町)民劇の鑑のようなお芝居となって結実した。道又さんが示した解釈は納得のいくものであり、最後は感動的である。これまで、どちらかというと「負の遺産」として語られがちだった相馬大作像を道又脚本は完全にひっくりかえし、「二戸が生んだ偉大な先人」として人々に印象づけることになったのだ。
 もちろん、お芝居は脚本だけでは成立しない。これを生身の人間が演じ、それを舞台装置、衣装、照明、音響などが支える。そのすべてに二戸市民が関わっている。
 そして、それらをひとつにまとめるのが演出家の役目だ。演出を担当された坂田裕一さんは、ご自分の劇団(赤い風)のお芝居ではときに前衛的な場面をつくるが(私はそこが好きなのだが、一般的にはその場面で評価が割れる)、二戸市民文士劇では正攻法の演出を貫いている。出演者も多く、3時間に及ぶ歴史ものをまとめあげた手腕にはただただ敬服するばかりだ。予算だって潤沢だったわけではないだろうから、ご苦労も多かったに違いない。そのあたりは「お金のないお芝居作り」を何十年間もやってこられた坂田さんならではの手法で乗り切ったのだろう。そういう面でも、坂田さんが現場で示したノウハウは二戸市民文士劇に関わったキャスト、スタッフにとって、大きな財産になったことと思う。
 そして、キャストのみなさんがまた素晴らしかった。おそらく道又脚本を読んで、その新しい相馬大作像にトコトン惚れ込んだに違いない。その熱い思いが舞台から鋭く、濃密に伝わってきた。
 恐ろしいことに(というのも何だが)誰もがご自分の役を楽しんで演じていた。これはなかなかできることではない(私は盛岡文士劇に20回も出ているからよくわかる)。そこまで持って行った演出家の努力もさることながら、「二戸には芸達者が多い」と率直に感じた。
〈このごろの斎藤純〉
〇無事に一冬乗り切ったと油断したせいか、風邪でダウンし一週間近く外出を控えている。熱はなく、咳だけが出るという風邪で、なかなか苦労した。
ライヴ・イン・ロンドン/サディスティック・ミカ・バンドを聴きながら