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目と耳のライディングバックナンバー

◆第393回 古楽と現代の音楽を楽しむ(12.Jun2017)


 まず、少し私の音楽の好み(「好み」というよりも「偏り」と言うべきかもしれない)について記してから、今回の話を進めたい。
 クラシックといえば、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、チャイコフスキーといった名前が連想されるだろう。これらは日本で最も好まれているビッグネームの作曲家だ。あえてバッハを外したが、バッハは名前こそよく知られているものの、実際にはさほど聴かれているとは思えない。バッハは音楽を勉強している人たちの音楽という側面が強いようだ。いわゆる「音楽家のための音楽」である。
 私はそのバッハが一番好きだ。もっと詳しく言うと、バッハとその時代の音楽--すなわち、バロック音楽が好きだ。ヴィヴァルディやヘンデルらもこの時代に含まれる。
 その一方で、クラシックの代名詞にもなっているモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、チャイコフスキーなど--すなわち古典派からロマン派にかけての音楽はあまり積極的には聴かない。
 だから、クラシックファンと話していると、いわゆるクラシックの常識的なことを私が知らないため呆れられることがある(ほとんどのクラシックファンは古典派ならびにロマン派のファンなのです)。
 古楽ムーブメントの興隆によって、これまで忘れられていた作曲家にも光が当たり、バロックとそれ以前(ルネサンス)の音楽をたくさん聴けるようになった。そのおかげで私は古い時代の音楽にさらにのめりこんでいった。作曲家が活動していた当時の響きを再現するという古楽の試みも私の趣味に合致した。それは、クラシックの濃厚な音という概念を覆すような軽やかで、押しつけがましくなく、それでいてセクシュアルな響きで、私にはとても新鮮だった。
 どうして古楽から現代音楽に飛躍してしまうのか、自分でもよくわからない。何か共通点があるとも思えない。どちらも好きだから聴いているとしか言いようがない。
 では、300年も昔の音楽ばかり聴いているのかというと、決してそうではない。古楽(バロック、ルネサンス)の次にCDの棚を占めているのは、20世紀以降の作品だ。そこにはわけのわからない(と言われる)現代音楽も含まれる。クラシックを駄目にしたとロマン派ファンから嫌われているシェーンベルクをはじめ、ベルク、ウェーベルンらのウィーン楽派、ショスタコーヴィチやバルトークなど今日では「クラシック」と認められている作曲家に加えて、タヴナー(同名の作曲家がバロック時代にもいたが、こちらは現代のタヴナー)、アルヴォ・ペルト、クルターク、リゲティの名を挙げておこう。
 そんな私の好みにぴったりなアンサンブル・ノルテのコンサートに行ってきた(もりおか町家物語館浜藤ホール/2017年6月3日午後2時30分開演)。
 演奏は朝倉未来良(フルート、18世紀フルート)、木村夫美(ヴァージナル)、佐藤俊(ギター、バロックギター)、佐藤由美子(ピアノ)という顔ぶれだ。
 プログラムは下記の通り。

1)バッハ:「主よ、人の望みの喜びよ」=全員による合奏
2)バッハ:フルートソナタ ハ長調=バロックフルートとヴァージナルの二重奏
3)ダウランド:「カム・アゲイン」、「思いとげられぬとしたら、どうしよう」、「ケンプ氏のジグ」=バロックギターとヴァージナルの二重奏
4)ロジー:パルティータ イ短調=バロックギター独奏
5)イギリス古謡:「グリーンスリーブス」=バロックギター、ヴァージナル、バロックフルートによる合奏
6)ヘンデル:ラルゴ=全員による合奏

7)バード:「女王のアルマン」=ヴァージナル独奏
8)アルベニス:「アストゥリアス」=ギター独奏
9)タレルガ:「アルハンブラ宮殿の思い出」=ギター独奏
10)佐藤弘和:「ドリームチャイルド」=ピアノとギターの二重奏
11)佐藤弘和:「3つのロマンス」=フルートとギターの二重奏
12)モーツァルト:トルコ行進曲=全員による合奏

 アンコール)ペツォールト:メヌエット=全員による合奏
       ルソー:むすんでひらいて=全員による合奏
 朝倉さんはモダン楽器(現在、一般的に使われている楽器のこと)と古楽器の両方を使い分けている。愛用の古楽器は18世紀にロンドンでつくられたもので、素材は象牙だ。当時のフルートの9割はツゲの木でつくられていたそうだから、とても珍しい。ちなみに、フルートはかつて木でつくられていたから、金属製のモダン楽器になっても「木管楽器」に分類される。
 楽器ばかりでなく、朝倉さんはバロック音楽のみならず、民俗音楽、ジャズ、そして現代音楽の分野で活躍されている。
 実は現代音楽でも活躍する古楽奏者が少なくない。「聴く側」の立場でその両方を聴いてきた私は、このことを知ったときに膝を打って喜んだものだ。
 木村さんのヴァージナルはチェンバロの仲間で、フェルメールの名画「ヴァージナルの前に立つ女」、「ヴァージナルの前に座る女」に描かれているのと同じ外観を持っている(当時の楽器ではなく、再現したもの)。アップライトピアノの先祖のように見えるが、音を出す構造がまったく異なるから、似ているけれどもピアノの先祖ではない。鍵盤の数もピアノの半分しかないが、人間の声の音域(バスの最低音からソプラノの最高音まで)と合致しているのが特徴だという。
 朝倉さんと木村さんはときおりバロックダンスのステップを披露しながら名人芸をたっぷり聴かせてくれた。バロック音楽を理解するためには、バロックダンスの勉強が欠かせないことを再認識させられた。
 佐藤俊さん(盛岡市在住)はクラシックギター(サウンドホールの位置と形状が一般的なクラシックギターとは違っていて珍しいデザインだった)とバロックギターを弾いた(6コース12弦のバロックギターは、故水原洋さんのハンドメイドギターだ)。
 佐藤由美子さんのピアノはアンプを通すタイプのものだったせいで、音が天井近くのスピーカから出るため、違和感があった。ついでに記しておくと、浜藤ホールは残響がほとんどないので、朝倉さんと佐藤俊さんにとっては気の毒だった(ヴァージナルは楽器の構造上、残響がない会場でも優雅な響きを聴かせてくれた)。
 プログラムはご覧の通り、バロック音楽と佐藤弘和(2016年没)による現代の作品、それにクラシックギターのスタンダードナンバーなど多彩な内容だった。気軽に楽しめるコンサートを目指したことがわかる(実際、この日の午前中には子どものためのコンサートが行われている)。
 ちょっと脱線するが、一流の演奏家は(ジャンルを問わず)演奏でジョークを言える。演奏で泣かせるよりも笑わせるのはずっと難しい。朝倉さんはそれができる演奏家の一人で、この日も言葉ではなく演奏によって客席に笑顔の花をたくさん咲かせていた。
 また、惜しまれて亡くなった佐藤弘和さんが残した作品を慈しむように演奏された佐藤俊さんと佐藤由美子さんの姿も忘れ難い。
 いいコンサートだった。次はもう少し条件のいい会場(ホール)でぜひ聴いてみたい。
〈このごろの斎藤純〉
〇過日、この連載の発案者のお墓参りに行ってきた。共通の友人が案内をしてくださった。墓前でノンアルコールビールを飲みながら、しばし故人の思い出話をした。天国の彼が笑って聞いているような気がした。
〇去年はあまりオートバイにもロードバイクにも乗れなかったが、今年は順調にどちらも距離を伸ばしている。精神衛生上、とてもいい。これはまんざら戯れ言でもなくて、オートバイ・ライディングが脳を活性化させることは科学的にも証明されている。
ウィリアム・アッカーマン:パッセージを聴きながら