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目と耳のライディングバックナンバー

◆第366回 特別な夜をありがとう(山下達郎コンサート千秋楽)(25.Apr.2016)

 2015年12月25日。クリスマスの夜の山下達郎コンサートツアーはなんと岩手県民会館で開催された。岩手のファンにとって、こんなスペシャルな贈り物はめったにない。
 残念ながら私は行けなかったが、その夜、コンサートに行っていた友人から「達郎さん、喉の調子が悪くて中止。振替公演をやることになった」とショートメールが届いた。なんでも、その夜は明らかに声がいつも通りではなかったが、90分ほど演奏したあたりで自ら「G(ソ)の音が出ない」ため、中止を提案。聴衆の賛同を得たので、改めて振替公演を実施することになった。
 その振替公演が4月20日に岩手県民会館大ホールで行なわれた。キャンセルした方がおよそ100名いたそうだが、5パーセントにすぎない。つまり、ほとんどの方は前半部分を二度聴いたことになる。お得といえばお得な話だ。
 それはともかく、この追加公演が「デビュー40周年 山下達郎コンサート2015-2016」の実質的な千秋楽となった。前回と同じ話をしてもしようがないというので曲をどんどん続けた。結果、時間に余裕ができ、その分、演奏曲目が増えた。これまたファンにとってはありがたいプレゼントだった。
 さらにビッグなプレゼントもあった。アンコールの際、コーラスに竹内まりやが参加したのである。私は「ステージに上がった方、竹内まりやさんに似ていらっしゃるが、まさか違うよな」と思って見ていたが、いや、これには本当に驚いた。
 山下達郎は「母が仙台出身なので私には東北の血が半分流れている」とよくおっしゃる(もうずいぶん前になるが、宮城県民会館でのコンサートに行ったとき、「そこの列にはずらりと親戚一同が来ています」と紹介したことがあった)。そのうえで、東日本大震災のこと、盟友の故大瀧詠一氏のことなどをお話しになる。山下達郎の音楽と同じようにその内容は直球だ。
 私は山下達郎の音楽から「娯楽」を遥かに超えたものを得ている。大袈裟かもしれないが、それは「生きていることの喜び」と言っていいと思う。そして、山下達郎のお話からは「生きる勇気」をいつも受け取る。
 この夜、山下達郎は「我々の世代は音楽が最も輝いた時代を生きた」とおっしゃった(今の時代はそうではないという意味が込められている)。私も同感だ。
 山下達郎コンサートに関しては第307回にも書いたので、ご参照いただきたい。
 2008年にコンサートツアーを再開して6シーズンを終えたという。私はそのうち5シーズンのコンサートを、チケットが幸運にも当たった会場(東京、郡山など)へ足を運んで聴いている。そして、デビュー40周年を迎えた山下達郎のキャリアのうちの4分の3をともに過ごしてきた幸せを、そのつど噛みしめてきた。
〈このごろの斎藤純〉
○今年のスギ花粉は猛威をふるったようだが、私は昨秋から始めた舌下免疫療法が功を奏して、この20数年間で最も楽な「春」を過ごすことができた。舌下免疫療法は効果が出るまで3年から5年はかかるといわれているが、私の場合はすぐに効果があらわれた。本当に助かっている。
○私が芸術監督をつとめている岩手町立石神の丘美術館で『近代洋画展』が幕を開けた。いずれ改めてこの連載で取り上げたいと思うが、盛岡でもめったに見られない展覧会なので、ぜひ注目していただきたい。
アメリカン・グラフィティ(サントラ)を聴きながら