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目と耳のライディングバックナンバー

◆第411回 連載を終えるにあたって その1(12.Mar.2018)

 今月をもって、この連載が終わることになった。2001年6月に第1回がスタートしているから、まる17年もつづいてきたことになる。よく書いてきたな、と我ながら思わないでもない。
 ざっと振り返ってみると、私自身の好み(あるいはその偏り)がはっきりとわかる。ギター好きと水墨画好みはそれぞれ『ギターを聴く』と『水墨画を観る』というシリーズに反映されている。大好きなジョアン・ジルベルト(ボサ・ノヴァの創始者)についても3度の来日コンサートのうち2度について報告しているというように。
 ロックコンサートよりもクラシックコンサートのほうが多い。そのクラシックも、オーケストラよりは弦楽四重奏団を好んで聴いている。
 演劇が少ないのは大いに反省すべき点だと認識している。盛岡はアマチュア演劇が盛んであり、岩手県は全国で最も市民劇・町民劇が盛んなことで知られている。秋田には角館を本拠地に全国レベルの演劇活動を展開している「わらび座」がある。青森出身の寺山修司も視野に入れつつ北東北の演劇を俯瞰すれば、「北東北のモダニズム」をもっと深く見つめることができるはずだ。
 けれども、限られた時間(と予算)の中で優先順位を付けると演劇を後回しにせざるを得なかった。
 批評ではないとお断りしているが、何度かホールの運営に関しては苦言を呈してきた。たとえば、クラシックのコンサートに客が入らないのは、ホールが日常的にクラシック・ファンを増やすような活動をしていないせいだと指摘している。
 この連載を書きはじめたころからその点を訴えてきたが、状況に大きな変化はない。むしろ、集客に関しては悪くなっているような気がしないでもない。かつてはオペラのコンサートは満席になったものだが、ここ数年、空席が目立つようになってきた。熱心に通っていた世代が高齢化したこと、若い世代にとって1万円前後のチケットは高すぎることが挙げられる。これは全国的な傾向だろう。
 予算削減(行政において文化予算はまっさきに削られる)と人手不足で大変だというホール側の事情もわかるが、このままでは地方都市でクラシックを聴くことはできなくなる日がやってきそうだ(クラシックのようなマイナーな世界はそういう運命にあるのだというならそれも仕方がないが)。
 第11回には美術館の集客について次のように書いている。
〈セゾン美術館、伊勢丹美術館、小田急美術館が閉館し、盛岡でも橋本八百二美術館が閉館するなど美術館が「冬の時代」といわれているときに岩手県立美術館はオープンした。
 アメリカでは国内の美術館や博物館の入場者数が10億人を超えた(2000年の統計)。プロスポーツの観戦者数よりも多いのだ。日本は2500万人だ(1998年の統計)。人口比率からいっても極端に少なく、私設美術館が閉館に追いこまれるのも無理はない。これはアメリカ人がそれだけ美術に深い興味を持っているからではなく、宣伝活動がうまいからなのだ。〉
 上記の記事を書いたころは、実際に美術館の運営に関わることになるとは想像もしていなかった。岩手町立石神の丘美術館の芸術監督を仰せつかっている今の私には身につまされる問題である。
 また、日本では「日本美術」よりも印象派を見る機会が多いと何度か書いている。これはかなり改善されてきて、浮世絵などは一種のブームとなっている。いい傾向だと思う。
 これからの美術館のあり方を考えていくうえで、この連載の記録が少しでも役に立てば嬉しい。
 ネガティヴな話題になってしまったが、小沢征爾&ロストロポーヴィチの『コンサートキャラバン』について第31回第106回第107回で報告できたことは私にとって、大きな喜びのひとつであり、一生の宝である(この記事は反響も大きく、いまだによくアクセスされている)。
 このように振り返ると、数々の思い出がよみがえってきて、やはり長い年月が過ぎていったのだと痛感する。
(この項、次回につづく)

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